撮影:大河内禎
実家近くに住み、認知症の母を見守る生活を長く続けてきた篠田節子さん。2年前、その状況は一変、自らに乳がんが見つかって──(構成=篠藤ゆり 撮影=大河内禎)

見守りからプロの手を借りる介護へ

95歳になる母は、現在、精神科病院の認知症専門病棟で過ごしています。以前『婦人公論』でお話しした2017年頃までは、日中は私と過ごし、夜は自宅に戻る生活をしていましたが、その後、介護老人保健施設(老健)、認知症に特化したグループホームを経て、訪問介護の先生の診断により入院治療を行うことに。とはいえ足腰はしっかりしており、身体的にはとくに問題はありません。

70代ですでに認知症は発症していたようですが、娘の私やたまたま身体の病気でお世話になった病院の看護師さんが気づく程度。物忘れより、怒りの感情を制御できなくなったり、不安感、不満感が大きくなって妄想が出る、といった症状が先に来ました。20年以上「介護」していた、と取材記事では書かれますが、一般にイメージされる「介護」はしていません。

常に見守りが必要になったのは2011年頃からでしょうか。足腰や口は達者でしたので、毎日のように、路線バスや電車で、ホームセンターやショッピングセンターを連れ歩いていました。

これといった趣味もない母にとって、新鮮な刺激に溢れたそうした場所は“遊園地”。「世間」と触れ合うこともでき、内側から湧いてくる怒りのエネルギーを楽しい感情に転化させられる唯一の手段でしたし、歩き疲れてよく眠ります。他人の介在は頑なに拒否するので、ヘルパーやデイサービスなど在宅介護サービスは使えず、そんな形で一人で看ていました。

2014年に父が亡くなると、母は不安や妄想傾向が強くなり、自宅に戻った夜間も1、2時間おきに私の携帯に電話をかけてくるように。明け方から午前10時頃までは眠りに落ちるので、その時間を狙って執筆の仕事はできましたが。

短期記憶がなくなると困ることはたくさんありますが、食事をしたことを忘れ、食べ物があればあるだけ食べるというのもその一つ。お腹が痛くなることが何度かあり、17年11月、腹痛がひどくなり病院でイレウス(腸閉塞)の疑いがあると診断されました。家に帰って、寝ているうちに吐いたりしたら窒息や誤嚥性肺炎の危険もあるとのことで、入院を勧められました。

病棟で治療が始まったとたん、案の定、たいへんなことに。管を入れて胃の中のものを出す処置をしなければならないのですが、本人にはわからない。昔、看護師をしていたので医者や医療への根強い不信感と拒否感があって、説明に納得しない。とにかくひどい目にあっていると受け止め、「せっちゃん、警察を呼んで」と叫んでいました。