咳き込んで誤嚥、救急搬送されて
2019年、自宅で筋トレ中に腰椎椎体骨折、秋には脳梗塞を起こして療養。無事に回復したものの、20年8月に、誤嚥がもとで小脳出血を発症し救急搬送された。一命は取り留めたが、治療に専念するため芸能活動を一時休止。後遺症が残り、完全復帰までは懸命なリハビリがあった。
――自宅でのトレーニング終わりに水を飲んだら、気管に入ってゴホンゴホンと咳き込んでしまってね。嘔吐もして倒れてしまったんです。水がおいしくてがぶ飲みしたのがよくなくて、年相応の飲み方をしなきゃいけなかったんだ。救急車で運ばれ、検査した結果、小脳出血によって脳内に血が広がっていた。
不幸中の幸いというのか、何度か検査するたびに、自然に出血は減っていきました。おかげで手術はせず、薬で治療して、結果的に脳への影響もなかったからほっとしました。
ところが、しゃべろうとしたら呂律が回らない。これはえらいことになった、と思いましたね。でも、命はあるんだから、少しでももとに戻るように、懸命にリハビリに取り組みました。
「だぢづでど」とか「らりるれろ」というふうに、ひたすら口を動かして音読しながら、ふと20代のデビュー当時のことを思い出しました。東宝に入社して2ヵ月くらいはずっと発声練習をやらされたんだけど、その時と内容がほぼ同じだったんです。60年も経って、懐かしい発声練習か、と思えば楽しくなりました。(笑)
この発声のリハビリを続けるうちに、だんだん回復して、しゃべれるようになってきました。歌のほうはどうだろうと不安だったけれど、やってみたら以前のように声が出た。「あぁ、また歌えるんだ」。歌を失わずにすんだのが、ものすごくうれしかったです。
11月に退院しましたが、大事をとってリハビリやトレーニングを継続。約2ヵ月間の入院で全身の筋力が落ちていて、歩行もおぼつかない状態でした。入院中に運動系のリハビリもしていたんですけどね。
だから、自宅に戻ってからも室内を歩き回るところから始め、徐々に外に出て。つらかったけれどなんとか気持ちを奮い立たせ、毎日1キロくらい歩くようにしたんです。
このリハビリ中、倉庫を整理していたら、1960年代に録音したオープンリールのテープが見つかってね。何十本もの音源のなかから、最初に見つけた音源をアレンジして、新曲「紅いバラの花」を出すことができた。病で倒れたけれど、いいこともあったわけです。