男たちは、過去を美化して回想する
次に「恋愛が成就すると相手が死ぬ」に関してですが、これはつまり、「ヒロインが(作者に)殺される」ということ。
明治から大正の終わりくらいまで、ほとんどの作家がいわゆるエリートでした。高学歴男性の視点で書かれたのが近代小説、と言ってもいい。彼らの多くは地方の名家の坊ちゃんで、祖母や母、お手伝いさんなどにちやほやされて育ち、学校は男女別。身内以外の女性と、ほとんど接したことがありません。
だから大人の女性との関係性を描くのが苦手なのか。物語の展開に困った挙句、死んでもらったほうが都合がよいと考えたのかもしれません(笑)。尾崎紅葉の『金色夜叉』や徳冨蘆花の『不如帰(ほととぎす)』、伊藤左千夫の『野菊の墓』など、最終的に女性が亡くなる作品は実に多いのです。
相手が若くして死んでしまうと、主人公の記憶にはずっと美しい思い出として残ります。亡くなった初恋の相手・民子のことを「忘れることが出来ない」などと言う『野菊の墓』の主人公・政夫などには、「嘘ばっかり」と突っ込みたくなりますが、えてして男たちは、過去を美化して回想する。
病気で女性が死ぬことで「泣かす」小説には、現代まで多数のベストセラーがありますね。『世界の中心で、愛をさけぶ』(2001年)や、『君の膵臓をたべたい』(15年)などもこのパターンです。
異色の作品も取り上げました。たとえば、『女工哀史』を書いた細井和喜蔵(わきぞう)の『奴隷』。主人公の青年は10代前半から女工さんが大勢いる工場で働いており、女性を美化しない。作家自身も工場労働の経験があるため、エリートとは違う世界を描くことができた。
菊池寛の『真珠夫人』の主人公、瑠璃子も異質です。彼女は物語後半、男たちを集めたサロンの女主人として君臨し、女性だけに貞淑さを強いる社会に物申す。菊池寛は新聞記者として世間をよく見てきたので、社会派エンターテインメント小説を書けたのかもしれません。