僧侶が進行役となり、病に倒れてから死を迎えるまでの悲しみや苦しみ、喪失感を疑似体験する(撮影:本誌編集部)
お金の生前対策講座や遺影撮影会など、全国で行われている終活関連イベント。なかでも、「死」を疑似体験できるワークショップが人気だとか。参加することで何が得られるのか――(撮影:藤澤靖子、本誌編集部)

僧侶の語りで「生」を見つめて~手放すものを取捨選択

神奈川県横浜市にある寺院「倶生山(ぐしょうさん)慈陽院なごみ庵」で、「死の体験旅行(R)」というワークショップを開催していると知り、さっそく参加してみた。

僧侶が進行役となり、病に倒れてから死を迎えるまでの悲しみや苦しみ、喪失感を疑似体験するというこのプログラム。もとをたどれば数十年前、「死を間近にした患者の気持ちを汲み取りたい」と、欧米のホスピスで働く医療従事者向けに開発されたものらしい。

なごみ庵の住職・浦上哲也さんは遺族の悲しみに寄り添うため、医療者向けのワークショップを受講。死を客観的ではなく主観的に体験することで、大きく心が揺さぶられた。2013年からは、自分の庵でも「死の体験旅行」を主催している。

「『死』は誰にでも訪れるものですが、核家族化や平均寿命が延びたことなどにより、身近に感じたり考えたりする機会が減っているのが実情です。だからこそ最近は、『メメント・モリ(自分が必ず死ぬことを忘れるな)』といった言葉が、僧侶の間でも大事にされています」

浦上さんは、死と向き合い「生」を意識する大切さを広く伝えるために、この活動を続けているという。

なごみ庵では月1~2回ほど、ワークショップを開催。地方の寺院などに招かれることもあるが、インターネットで告知すればどの回も即満員になるほど盛況だ。参加者は、医療や葬儀の関係者はもちろん、学生、主婦、会社員など年齢も職業もさまざま。今回参加したのは、私を含め20~50代の女性5人と男性1人だ。各自、間隔を空け壁に向けて並べられた席に着く。

穏やかな音楽が流れ出し、いよいよワークショップが始まった。まずは、机上に用意された20枚のカードに、自分が大切にしている「人」「モノ」「行動」などを、1枚につき1つずつ記入する。執着心のない私は、正直なところ、「大切」と断言できるものが2つしか浮かばず一瞬戸惑う。しかし、浦上さんの細やかな説明を聞くうち、「ああ、これも私にとって大切かもしれない」という気づきにつながり、その後はスラスラと書けた。

カードを机に広げると、照明が薄暗くなる。「これは、あなたの物語です」。浦上さんの朗読が始まった。目をつむり、「私」が病を患い、命を終えていくまでのストーリーに耳を傾ける。浦上さんのガイドに従い、決められたタイミングでカードと対峙。「今、いずれかを手放さなければならないのなら、これだ」と、取捨選択していく。

病気が進行するとできないことが増え、大切なものから引き離される寂しさ、諦めなければならない悲しさがじんわり胸に湧いてきた。カードの残りがわずかになると、執着心がないはずの自分が、「何にさよならを告げるか」を真剣に悩んでいる現実に少々驚く。

最後の1枚、「息子」と書いたカードを見つめながら、ほんのちょっぴり目頭が熱くなる。そして「私」は最期を迎え、30分間の体験旅行を終えた。