「感謝が僕の役者としてのエネルギーになっていきました」

大きな挫折を乗り越えて

僕が5歳の頃、父が「尾上松助」襲名時に、当時の松竹の会長さんから「息子がいるなら出してしまいなさい」と言っていただいたことがきっかけで初舞台を踏んで以来、歌舞伎の世界に入りました。物心ついてから歌舞伎を嫌だと思うことは一度もなく、舞台に立つことはもちろん、舞台裏で役者の先輩方と共に過ごす時間も全てが楽しかった。

ですが僕はいわゆる名門の出身ではありませんので、歌舞伎界で生き残るためには、いつか歌舞伎以外の世界でも名をなさないといけないとは思っていました。

20歳の時、父が急逝してしまったことで、なおさらその思いは強まり、見切り発車でしたが25歳の時に歌舞伎の自主公演を主宰しました。

もちろん結果は大赤字。それでも応援してくださった人もいますし、不甲斐ない僕だったのにも関わらず、支えてくれた一門や裏方の方達がいました。赤字のスタートでしたが、その次の年も次の年もと、支え続けてくださった方がいたことに感謝したい。その感謝が僕の役者としてのエネルギーになっていきました。