日本代表を意識したきっかけ
トンプソンが日本代表を意識したきっかけは、ニュージーランド時代からの友人で、三洋電機でプレーしたフィリップ・オライリーの一言である。「トモ、2007年のW杯、ジャパンで出たいな」
すでにオライリーは、日本代表のジャージを手にしていた。
トンプソンは同胞の言葉に「そういう選択肢もあるのか」と感じた。もちろん彼にとっても、W杯は憧れの特別な大会だった。だが、だからこそ、自分がW杯に出場するなんて想像もしていなかったのだ。
ちょうどそんな時期、日本代表のヘッドコーチだったジョン・カーワンから「ジャパンでプレーしてみないか」と声をかけられる。「ジャパンでプレーするオライリーを見て、いいなと思ったんです。父に相談したら、面白いチャレンジじゃないか、と応援してくれた」
そう話した彼は「リアリティでは……」とつないだ。本音では、という意味だろうか。「簡単な選択じゃなかった。3年は人生では短いですが、ラグビープレーヤーとしてはとても長い。長い3年間をぼくは日本で過ごした。それからニュージーランドにもどって、日本とは違うスタイルのラグビーにフィットできるか、また一から実績を積んでいけるのか、不安もありました」
初出場となった2007年W杯の時点でトンプソンは26歳。20代前半からのラグビー選手として伸び盛りの時期を日本で過ごしたのである。そして自身としては2回目のW杯前の2010年に日本国籍を取得し、10年にわたって日本代表のフォワードを支えた。その間に、3人の子どもにも恵まれた。
「ぼくはニュージーランド出身で、ニュージーランドも大好きです。でも、日本の生活が長くなった。だから日本代表としてプレーするからには、日本人として戦いたかった。いま世界は狭くなったでしょう。様々な国に、様々な文化がある。ぼくの子どもたちはみんな日本文化で育った。日本はぼくだけの問題じゃなくて、家族のライフにもなったんですね」