オフフィールドが面白かった

日野戦の1週間前、東大阪市花園ラグビー場のクラブハウスで、私は彼に話を聞いていた。海外出身選手が日本を代表する意味について問うと、関西弁と英単語を交えてこう答えた。

「日本代表は、私のライフのハイライトでした。日本はめっちゃいい国です。とくに大阪が大好き。好きな町に暮らし、その国を代表して戦う。そこがラグビーのいいところですね」

『国境を越えたスクラム-ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(著:山川徹/中央公論新社)

1981年生まれのトンプソンは「ぼくはカントリーボーイだから」と来歴を振り返る。ニュージーランドのクライストチャーチ北部にあるカイアボイ出身。カンタベリー州代表の名選手だった父は、牧場を営んでいた。

13歳からラグビーを本格的にはじめたトンプソンは、リンカーン大学時代に念願のカンタベリー州代表に選出される。当時はロックとフランカーを兼務した。だが、196センチの長身もラグビー強国では強みになりえなかった。

「ニュージーランドのトップレベルでは、ロックでは小さ過ぎる。フランカーではスピードがなさ過ぎた」と苦笑いする。

三洋電機に誘われて日本の土を踏んだのは、2004年のことである。「ニュージーランドでは道路工事の会社でアルバイトをしながらプレーしていました。でも日本では、プロのプレーヤーとして、フルタイムで大好きなラグビーができる。それが、ぼくにとってライフイズグッドでした」

当初は、1、2年プレーして帰国し、子どものころからの目標だったオールブラックスを目指そうと考えていた。だが、三洋電機で2年間の契約が切れたあと、花園ラグビー場をホームグラウンドにする近鉄に声をかけられて、移籍を決意する。日本に残ろうと思ったのは「オンフィールドだけでなく、オフフィールドが面白かった」からだ。

「若いときはラグビーだけに集中していたけど、日本にきてから生活や文化が面白いと思った。日本で一番好きになったのは、尊敬。若い人は年上の先輩を尊敬する。でも、日本人が尊敬するのは人だけじゃないでしょう。日本人は、食事にも尊敬する。そういう日本文化がぼくはとてもいいなと思いました」

食に対する尊敬とは、食材となる動植物に感謝する日本人ならではの精神性だろう。