過去には映画館名の停留所も

東京駅八重洲口から第一京浜を川崎駅へ向かう115系統には、大森に「大森魚市場」という停留所があった。

当時はまだ干潟の広がる海岸が残っており、海苔の養殖も盛んに行われていた。

次の「学校裏」は、京浜急行にも同名の駅があり、こちらは小学校の裏を意味する明治以来の名だ。現在の「平和島」駅であり、当時も特急が停車していた。川崎駅のひとつ手前には「映画街道入口」という印象的な停留所名もあった。

図を眺めれば、映画館名と思われる停留所が、板橋区の「常盤映画前」、渋谷区の「笹塚舘前」など各地に点在している。

テレビが本格的に普及する前だから庶民の娯楽として映画は大きな地位を確立しており、シナリオライターになりたかった私の亡父は百貨店に就職したものの、木下惠介監督にちなんで私の名前を付けたと聞いている。