都バスの路線図
昭和33(1958)年に東京都交通局が発行した「都バス案内図」である。今から65年前だが、本田技研工業は原付のスーパーカブを、日清食品はチキンラーメンを発売した。皇太子の婚約発表で「ミッチーブーム」が沸き起こり、年末には戦後の高度成長の幕開けを象徴する東京タワーも完成している。
『都営交通100年のあゆみ』(東京都交通局、平成23[2011]年発行)によれば、昭和20(1945)年度に1日平均約12万人だった都バスの利用者数は同30年度に約54万人、同35年度には約91万人に激増しているから、まさにその頃だ。
当時は地下鉄がまだ銀座・丸ノ内の二線しかなく、バス路線全体の規模も異なるので単純な比較はできないが、平成28(2016)年度の都バス利用者数は約60万人というから、当時は約160万人を運んでいた都電とともに、鉄道を除く区部の公共交通を一手に引き受けていた感がある。
都電の路線網との大きな違いは、カバーしていたエリアが広いことだ。「都営」であるにもかかわらず、北は埼玉県の浦和や草加、東は千葉県の市川、南は神奈川県の川崎と近県にまで及んでおり、西も八王子まで遠征していた。
通常路線で最も長かったのは新宿駅から延々と甲州街道を走って八王子駅に至る302系統で、途中で日野橋の北詰から立川駅へ寄り道することもあって、系統としての距離は43.5キロに及んだ。全区間通しで乗る人はほとんどいなかっただろうが、ダイヤ通りの運行でも全区間で1時間40分ほどかかったという。
ただし並行する京王線のスピードアップもあって乗車率は徐々に低下、昭和47年には路線全体の4分の3にあたる立川駅以東を廃止して一気に短縮、後に都営バスはこの路線から撤退している。