「手術後に感じたことは、寂しいとか悲しいという感覚も死とともに消えてしまうなら、それは究極の解放だな、ということ」(若竹さん)

内館 知らない人どうしで一緒に食事やレクリエーションをするのは、気を使うんじゃない?

若竹 それが全然! 最初は抵抗感があったし、「今日は何月何日ですか」「ここはどこですか」と簡単な質問をされて――認知症かどうか調べるんでしょうね――、心のなかで「足は悪いけど、頭は正常です」と叫んでいた(笑)。「なんてところに来させられたんだろう」とイラついたけれど、慣れたら楽しくなりました。

いろいろな人がいるので、それとなく観察していると飽きない。50日もリハビリ病院にいたおかげで、この先、身体が動かなくなったら、そのときはそのときと思えるようになりました。

内館 読者のなかにも、高齢者施設での集団生活に不安を抱いている人がいると思うし、私もそう。若竹さんのその感想は、心強いわ。私は盛岡で倒れた際、3週間近く意識不明でした。その間のことはまったくわからない。全身麻酔と同じで、自分がいなくなってる。

目覚めたとき、「死って本人は全然わからないものなんだな」と実感。そう思ったら、死ぬことも少し気が楽になりました。

若竹 自分が死ぬなんて、若い頃は考えもしないものですよね。でも、55歳のときに夫が亡くなり、「あっ、私もいずれ死ぬんだ」とわかったんです。

とくに、手術後に感じたことは、寂しいとか悲しいという感覚も死とともに消えてしまうなら、それは究極の解放だな、ということ。私には「いつか夫が迎えに来てくれる」という感覚があって、孤独や悲しみも「それまでの辛抱だわ」と。