脚本家の内館牧子さん(右)と、作家の若竹千佐子さん(左)(撮影:宮崎貢司)
脚本家として長年活躍する内館牧子さんと、63歳で文壇デビューを果たした若竹千佐子さん。それぞれ紆余曲折ののちに夢を実現したエピソードから、老いの時間の楽しみ方まで――いまが充実しているわけをとことん語り合った(構成=篠藤ゆり 撮影=宮崎貢司)

なぜか、故郷が恋しくなって

内館 若竹さんと最初にお会いしたのは、小説『おらおらでひとりいぐも』で芥川賞を受賞された直後だったわね。

若竹 あれは、2018年12月の盛岡文士劇のときです。

内館 盛岡文士劇は戦後間もなく始まって、中断を経て95年に盛岡在住の作家・高橋克彦さんが復活させたもの。私は「看板女優」で(笑)、そこに若竹さんも出てくださった。

若竹 私は徳川から盛岡藩主に嫁いだお姫様役。似合わないのに、おすべらかしで恥ずかしかった(笑)。あのときが内館さんと初対面でしたが、第一声が、「若竹さん、老後は盛岡で一緒に暮らさない?」。正直どうお答えしたらいいのか。(笑)

内館 初対面で言われたらビックリしちゃうわよね。(笑)

若竹 私は岩手県遠野の生まれで、大学は盛岡。28歳で結婚して、30のとき夫の仕事の関係で関東に引っ越しました。63歳で芥川賞を受賞するまでは普通の主婦でしたから、憧れの作家の方から突然誘われて、「ええ~っ」としどろもどろ。内館さんは、なぜ老後を盛岡で暮らそうと思ったんですか?

内館 母が秋田出身で、父は盛岡出身。私は東京育ちですが、2つとも故郷です。盛岡には友達がいっぱいいるし、老後は大好きな岩手山を肴に友達と飲む暮らしがベストだと思って。岩手出身の若竹さんを逃すもんか、です。(笑)

若竹 盛岡とご縁が深いのですね。

内館 60歳のとき、心臓と大動脈の急病で倒れたのも盛岡だった。13時間の緊急大手術で、死んでもおかしくなかった。入院中、「あぁ、故郷で倒れたから生還できたんだ」と思いました。若竹さんは、遠野に帰りたい?

若竹 実家は空き家で兄が管理してくれていますが、たまに帰ってぼーっと過ごすのが楽しくて。年を重ねると子どもの頃のことをしみじみ思い出しますね。

内館 身体が弱ったときにも郷愁を感じます。