子どもを精神科病院に入れた親
ある日の親の会で、ベテランの母親が話しかけてきた。勇ちゃんの年齢を聞いたその母親は感嘆して言った。
「まあ、まだ幼児なのね。2歳で自閉症って診断されたなんてとてもラッキーね」
「そうなんでしょうか?」
「私は子どもの障害に気付くことが遅れてしまったの。気付いてからもどうしても障害を認めることができなかったの。できるだけみんなと同じようになって欲しいと思って無理をさせたのよ」
「どういうふうにですか?」
「『どうしてお友だちにできることが、あなたはできないの!』っていつも叱っていた。責め続けていたわ。小学生になっていじめにも遭って、担任からもダメな子扱いをされた。そして今は17歳」
「お子さんは、今はどうなさっているんですか?」
「自殺願望が止められないの。家族で監視することがもう限界に達して、今は精神科病院に入院させているのよ」
「そんな……」
母は背筋が凍る思いだった。
「子どもが私を詰(なじ)るの。『何で僕の人生はこんなにつらいんだ。生きていて楽しいなんて思ったことは一度もない。何でお母さんは僕を生んだんだ!』って……」
母は何も言えなかった。その母親は最後に一つの忠告を与えてくれた。
「将来うちの子みたいに二次障害を起こさないようにしてね。お子さんの特性にあった子育てをするのよ」
この言葉はリアルだった。
※本稿は、『発達障害に生まれて-自閉症児と母の17年』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『発達障害に生まれて-自閉症児と母の17年』(著:松永正訓/中央公論新社)
人の気持ちがわからない。人間に関心がない。コミュニケーションがとれない。勇太くんは、会話によって他人と信頼関係を築くことができない。それは母親に対しても
同じだ。でも母にとっては、明るく跳びはねている勇太くんこそが生きる希望だ。
幼児教育のプロとして活躍する母が世間一般の「理想の子育て」から自由になっていく軌跡を描いた渾身のルポルタージュ。子育てにおける「普通」という呪縛を問う。