8月に埼玉県・浦和で開催された個展『しずちゃんの、創造と破壊展』で、「サンドバッグアート」に挑戦。つけたグローブは現役時代のもの

練習も痛みも涙も、全部このためにあった

8月には、初の自伝的エッセイを出しました。

体重5000グラムで生まれたこと。中学時代に男子に「岩石女」とからかわれ、コンプレックスをこじらせたこと。「人を笑かしたい」という気持ちから芸人の道が開けたこと。すると、体が大きいことがむしろプラスになると気づいたこと……。

すべて実際に自分が経験してきたのだけれど、改めて客観的な目線で振り返ると、「自分ってこんな人間やったんや」と変な気持ちがしています。私は迷った時は、直感を信じてチャレンジするタイプ。芸人として活動するのも、女優の仕事も、絵の個展を開くのも、自分から「これ」と思ったほうに進んできた結果です。

でも、ボクシングとの出合いだけは違った。あれは《運命》だったのだと思います。お笑いで、М―1の優勝を目指して頑張ってはいたけれど、煮え切らない思いがずっとあった。燃え尽きるまでとことん何かにのめり込んでみたい。そんな突き動かされる衝動みたいなものがボクシングに向かったんです。

最初はフィットネス感覚で、爽やかに汗を流していただけでした。ところが、女子ボクシングのドラマで主演することになり、ボクシングシーンの指導に来たのが後に師匠となるトレーナーの故・梅津正彦さん。

ドラマ後も指導を受けるうち、アマチュアライセンスの取得を勧められました。そしてちょうどライセンスが取れた頃に、「ロンドンオリンピックで女子ボクシングが正式種目に」というニュースが飛び込んできたのです。

オリンピック出場を目指す。そう決めてから、梅津さんの指導はめちゃくちゃ厳しくなりました。苦しくて、つらくて。何をやっても「甘い」と叱られ、4、5時間怒鳴られっぱなしなのもしょっちゅう。いい意味で、地獄を見せてくれました。

私は梅津さんほど、本気で自分のために怒ってくれた人をほかに知りません。ボクシングは格闘技やから、深刻な怪我を負わないためには、自分で自分を守らなあかん。「そのために強くなれ」と梅津さんは教えてくれました。教え方はきつかったけれど、それだけ真剣に私のことを考えてくれていたんです。

すべてが報われたと感じたのは、オリンピック出場権をかけた世界選手権で1勝をあげた時。がんの闘病中だった梅津さんも大喜びやったし、私自身、それまでのつらい練習も痛みも涙も、全部このためにあったんやと感じるくらい幸せでした。

結局、翌日の試合に負けて私のオリンピック挑戦は終了。思い返せば苦しいことだらけやったけれど、地獄を見たことで、わかったことがあります。それは、自分がいかに物事に真剣に向き合ってこなかったかということ。生ぬるく生きてきた自分への気づきは大きな収穫でした。

『5000グラムで生まれた女のちょっと気ままなお話』(しずちゃん(南海キャンディーズ):著/ワニブックス)