山の中でイノシシに追いかけられてしょげているクレイマー
詩人の伊藤比呂美さんが『婦人公論』で連載している好評エッセイ「猫婆犬婆(ねこばばあ いぬばばあ)」。夫が亡くなり、娘たちも独立、伊藤さんは20年暮らしたアメリカから日本に戻ってきました。熊本で、犬2匹(クレイマー、チトー)、猫2匹(メイ、テイラー)と暮らす日常を綴ります。Webオリジナルでお送りする今回は「私的ベビーシッター論――『子ども放置禁止令』によせて」。埼玉県の自民党県議団から「子ども放置禁止令」が提案され、それをきっかけに考えたこと、思い出したことがあったそうで――。(文・写真=伊藤比呂美さん)

埼玉県の、おやじだらけの自民党県議団から「子ども放置禁止令」が提案され、悪法だろうとしか思えず、ドキドキしながらニュースを追いかけていたら撤回された。ほっとした。あれをきっかけに、考えたこと、思い出したことを話したい。

家庭も家もがらがらと壊して引っ越しというかたちで、12歳のカノコと10歳のサラ子、前年にアメリカで産んだ末っ子トメの3人子連れでアメリカに移住したとき、そこには抵抗を感じる文化がいっぱいあった。

そのひとつが、しょっちゅう人の家にパーティーで呼ばれること。そしてそれは、パートナーのいる人はほぼ必ずパートナー同伴なこと。あの頃はまだパートナー同伴というより夫婦同伴という意識だった。夫婦同伴だけじゃなく、子どもはベビーシッターに頼んで置いてこなきゃいけないのだった。

夫は、パーティーや夫婦の食事に行こうと言う。そのためにベビーシッターを雇おうと言う。あたしはそこまでして外食したくなかったし、子ども置いてまでパーティーに行きたくなかった。そして欧米文化とは、そういうことをする文化なのだった。

業を煮やした夫が大学院生をひとり手配してきた。この学生エリンは、それから長い間夫のアシスタントとして活躍することになり、アメリカの子ども文化をあたしたちに教えてくれ、娘たちの姉貴分としてサポートしてくれることになる。

ベビーシッター導入をあんなにためらったあたしの感じていたものは、なんだろう、心のどこかに、母たるもの、もしかしたら太字で黒々と書かねばならないような「日本の母たるもの」という意識が、子どもを置いて夫婦の楽しみなどもってのほかという意識が、あったような気もする。他人に家の中に入ってもらいたくないという防御心だったような気もする。

あたしの母が、介護ヘルパーさんを導入することになったとき、自分の台所を明け渡すことになったときに見せたためらいと、同じようなものだったのかもしれない。

日本の親にこの感情があるかぎり、ベビーシッターを頼んでも、親はせいぜい買い物くらいしか行かれないんじゃないか(埼玉県議もそう考えたらしい)。

さて、うちでは、しばらくすると、エリンなしでも、子どもだけの留守番ができるようになっていた。そしてトメも成長し、お友だちができ、お泊まりしあうようになり、親同士も親しくなり、なんかあったらよその家で預かってもらうというシステムも、長いこと機能していたのであった。幼稚園のお友だちの保護者同士の、気楽に手をさしのべ合い、気楽に頼むし頼まれるという間柄には、ほんとに救われた。日本にそれがあったか――残念ながら、あたしは経験してない。