5年間でライフプランナーを750人から3400人に

私がソニー生命の会長の打診を受けた時に、「社長は誰?」と聞いたら、社長も今考えているということでした。会長だと何も実情がわからないから、私に社長もやらせてくれと言って、両方をやることにしました。やはり社長として実務を知らないと何もできませんからね。

とにかく、社長室に座っているだけでは何も分かりませんし、人の報告を聞いたって、自分の都合の良いことしか言いませんから、日本全国のソニー生命の支社を回りました。私はとにかく現場主義です。

1992年、ソニー生命の社長兼会長としてマウイコンベンションで行ったスピーチにて(写真:『人の力を活かすリーダーシップ: ソニー躍進を支えた激動の47年間 錦織圭を育てた充実のリタイア後』より)

当初、ソニー生命では、ライフプランナーという営業社員が750人ぐらいいました。本格的に保険の自由化の波が来た時、なまじ中途半端なところは自由化の波にさらわれてなくなってしまうかもしれない。

何とかして今のうちに体力を蓄えておかないといけないと考えました。私は5年間でライフプランナーを750人から3400人にしたのです。

1994年には、岩城賢さんがソニー本社を定年になったので、「彼をください」と言って、岩城さんを社長にして私は会長を続けました。

ソニー生命は、他の保険会社の経験者を採用せず、お客様対応を優先的に行えるよう出社日は週2日という勤務形態の非常にユニークな会社でした。各地に支社があり、支社長と営業所長がいました。そこで営業所長が、自らリクルートしていくのです。

本社の人事部は基本的に関与せず、現地採用しました。そのライフプランナーのお客様への貢献に応じて、支社長の報酬が決まる。要するに、支社は独立自営なのです。

だから、みんな一生懸命良いライフプランナーを採ってくる。良い人を採ってくれば、自分の報酬にも反映されるシステムでした。