たとえば、整理整頓。認知症になり、家の中にものがたくさんあると頭の中の整理もできなくなりました。何が大事なものかわからず、混乱してしまう。だから、なるべく不要なものは処分し、大事なものだけを残すようにするのです。「これは必要なものだよね」 と家族間で情報を共有しておくと、なおいいですね。

人づき合いも、いろいろな経験を経て、何でも話すことができる人の大切さを実感しました。みなさんも、心から信頼できる人たちと、「もし認知症になったらこうしよう」と互いの思いを話しておくと心強いですよ。

 

幸せな瞬間を日々のなかで感じて

診断から12年。よく「認知症には見えませんね」と言われます。確かにその瞬間は思考を巡らせば普通に話せますし、物事はほとんど自分で判断できます。しかし脳の疲労感があり、場合によっては、したことや言ったことが数時間後には薄らいでしまうのです。普段、忘れないように何でもメモをとるのですが、最近は長い文章を書くのがしんどくなってきました。少しずつですが、病状は進んでいると感じます。

そんな状況でも、私は生活のなかでワクワクすることをたくさん見つけていますし、幸せな瞬間はたくさんあります。料理が彩りよく、おいしくできたら「やったあ!」。上京した時にウィンドーショッピングでキラキラした雑貨を見るのが楽しいし、おいしいスイーツを見つけたら嬉しい。海外ドラマの素敵なおばあちゃんに憧れて、ピアスの穴も開けました。認知症の本人としての活動で日本各地を訪れ、たくさんの人と出会うのもいい刺激になっています。

当初は、「認知症になると10年ほどで寝たきり」と言われていました。でも、初期からいい環境をつくってこれたおかげで、この先の人生も元気で続けていけるような気がしています。

ひと言ではうまく表現できないのですが、「グラグラ」した感覚のなかでこの先20年、30年と生きていくのだと思うと、ちょっとキツいなという気持ちになることもあります。それでも、6歳と3歳、2人の孫がわが家に遊びに来て、「帰りたくない、おばあちゃん」なんて甘えられると、この子たちが中学、高校に上がるまで、いや結婚まで元気でいたい……なんて欲が湧いてくるのです。