法解釈すら左右してしまう曲者
法解釈すら左右してしまう曲者英語のセミコロン「;」は、形はコロン「:」と酷似しているものの、ピリオド「.」とカンマ「,」の中間的存在として認識している人が多いだろう。
しかしその使用方法は多岐にわたり明確な定義がないことで、歴史上さまざまな事件を起こしてきた記号であるらしい。
裁判でもっとも重要な法解釈も、法律の文言にセミコロンが入っているかどうかで変わる。何時からお酒が飲めるかどうかが変わり、本来死刑になるはずのない者が死刑になってしまうというのだ。
本書はこのセミコロンに悩まされてきた書き手と読み手の事件史を紹介するだけでなく、ジャンル横断的な知識で読み手を楽しませてくれる。読めば読むほどに、このセミコロンというのは放置していてはまずいものなのではないかと考えさせられる。
日本語も、文中記号に関しては明確な使用方法が規定されているものが少ない。たとえば読点「、」だが、どういうときに打つべきか、というのをちゃんと教えてもらったことはないはずだ。
一文内に時間の経過があるとき、原因と結果があるとき、物事を並列するとき、そして長い連体修飾がはじまるとき、など日本語教育的には整理されているが、小学校から高校までの国語科教育では教えていない。
さらに表現技法として使用する読点は、太宰治の小説ひとつとっても異常に多く打つものもアリとされていて、文法的にも表現的にも正しい指導基準がないのだ。
本多勝一『日本語の作文技術』(朝日新聞出版)では、「。」と「、」の中間的存在として読点を白抜きにした記号が使用されていた歴史も紹介されている。記号も言語なので、使用実態は常に変化する。
しかしセミコロンほどの混乱はない!こんなやばい記号を野放しにしておくのは……もはや面白いから良いとさえ思った。