「いま思うと母は、私にずっとこの家にいてほしかったのかもしれないですね。(笑)」(撮影:小山志麻)
最愛の母の他界、兄の在宅介護――。作家・山口恵以子さんの生活は年々変化してきていると言います。その時々の問題に向き合って、大規模リフォームや断捨離に取り組んできました(構成:村瀬素子 撮影:小山志麻)

私を励まし続けた母がいつもいた場所

35年前、父が購入したこの家に、両親と2人の兄の5人家族で暮らしはじめました。以来、私はこの歳までここを離れたことがありません。

私は若い頃に漫画家、続いて脚本家を目指していたけれどうまくいかず、ずっと独身で実家暮らし。40代までプロットライターをしながら派遣で働き、経済的に不安定でした。

でも母は就職しなさいとは言わなかったし、お見合いを43回失敗して、心が折れて帰ってくる私を、「大丈夫よ。そんなの、やめちゃえば」と明るく励ましてくれて。いま思うと母は、私にずっとこの家にいてほしかったのかもしれないですね。(笑)

その母は、2000年に父が急死してから3年ほどで急に衰えてしまって。これからは私が母を支えなければと思いました。ですから44歳で、新聞事業協同組合の食堂の調理補助のパートに応募して採用されたときは、心底ほっとしました。

なんといっても、正社員と同様に、60歳の定年まで仕事を探さなくてすむし、生活費に困らなくなりましたから。午前は朝6時から5時間働き、午後は母の世話をしつつ、小説家を目指して執筆に励むことができました。

松本清張賞を受賞したのは、55歳のとき。母はずっと「この子は物語を書いて生きていく」と信じて、見守ってくれていたので恩返しができてうれしかったです。

母もこの家が大好きでした。晩年は認知症が進みましたが、施設入所を考えたことはありません。私と母は二人三脚でやってきたので自宅で介護することを決め、2018年1月、ケアマネジャーさんの紹介で、在宅診療の医師と看護師さんに定期的に来ていただくことにしました。

私は母の介護ベッドの隣に、マットを敷いて寝たものです。母も安心して過ごしていましたね。こうして19年1月、91歳の母を自宅で看取ることができました。

母の励ましがあったからこそ、いまの私の暮らしがあるとつくづく思います。現在は要介護5の長兄と2人暮らしです。あ、3匹の猫たちもいるんですよ。