銀行の頭取に
脱税容疑で二年の収監後、放免はされたものの、百福の人生はまた振り出しに戻ってしまいました。人間の運は、いったん悪い方へ転がり出すと、もう止めようがないのかもしれません。心のどこかにあせりがあって、冷静な判断を誤らせるのでしょうか。
1951(昭和26)年のことです。百福は四十一歳になっていました。
ある日、こんな話が舞い込みました。
「信用組合を新しく作ります。ついては理事長を引き受けてくれませんか」
百福は金融関係の仕事は経験したことがありません。いったんは断ったものの、「そこを何とか」としつこく依頼されます。三顧の礼といえば聞こえはいいのですが、実際は「名前だけで結構です。安藤さんのような方がトップにいるだけで信用がつくから」というものでした。
はっきりと断るべきだったのです。しかし、百福はいろいろ苦労した後でした。こうした誘いがうれしくもあり、おだてに弱くなっていたのでしょう。理事長のポストを引き受けてしまったのです。
小さくても銀行の頭取です。生活は華やかになりました。それまで仕事一途でほとんど趣味も遊びもなかった百福ですが、ゴルフを覚えました。早朝、ゴルフ場が開くのを待ちきれずにコースに入り込み、練習をするほど熱心でした。始めると夢中になるくせは仕事だけではなかったのです。
また、宝塚歌劇が好きになり、当時、娘役の人気スターだった乙羽信子のファンになりました。観に行きたくなると、自分からは言い出しにくいので、いつも子どもやお手伝いさんに言わせて「では連れて行ってやるか」とチケットを買いました。
小さい宏基(次男)は少しも面白くありません。ステージのすぐ下のいい席で見るラインダンスがはずかしかったのです。席に座らず舞台横の隅っこに立って、舞台を見ないで客の顔ばかり見ていました。百福はよく家で「すみれの花咲く頃」を歌いましたが、あまり上手ではなく、実際の歌を聴くと違う歌に聞こえたほどです。