NHK大河ドラマシリーズや映画などで「日本史ブーム」がまだまだ続いています。しかし、歴史研究家の河合敦先生いわく「じつは教科書が改訂されるごとに、多くの歴史用語や人物が消滅したり、評価が逆転したりしている」そうで――。そこで今回は、河合先生が日本史の新説をまとめた著書『逆転した日本史~聖徳太子、坂本竜馬、鎖国が教科書から消える~』から「享徳の乱」についてご紹介します。
戦国時代の始まりは、応仁の乱がきっかけではない?
「戦国時代に突入するきっかけは、応仁の乱である」
その常識がいま崩れようとしている。
日本史の教科書のなかには、こんな記述が登場してきているのだ。
「足利持氏(もちうじ)の子成氏(しげうじ)が鎌倉公方となったが、成氏も上杉氏と対立し、1454(享徳3)年に成氏が上杉憲忠(のりただ)を謀殺したことを発端として享徳の乱がおこった。これ以後、関東は戦国の世に突入した」(『詳説日本史B』山川出版社2018年)
「享徳の乱? そんな戦い、聞いたこともないよ」
そう思った方も少なくないはず。応仁の乱は1467年だから、関東地方はそれより10年以上も前に下剋上の世に突入していたというのが、最近の研究結果が反映された教科書の記述なのだ。
おそらく今後は、享徳の乱について触れた教科書が増えていくはずだ。
そこで、ほとんど知られていないこの乱の概要を知って、周囲の人に自慢しよう。