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大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回は一条天皇の死後について、新刊『女たちの平安後期』を刊行された、日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。

一条天皇が亡くなった後のエピソード

『光る君へ』にて、ついに一条天皇が亡くなりました。

一条天皇が亡くなった後の対応について道長たちが語り合った、というエピソードが、藤原実資の日記『小右記』の寛弘八年七月十二日条に記されています。

その日記に書かれていたのは、実資が一条天皇の亡くなった里内裏の一条院に参内し、春宮大夫(東宮。後の後一条天皇付き役所の長官)藤原斉信と中納言藤原隆家らと話していた時、誰かが言い出した話について。

「故院(一条院のことですが、亡くなる前に譲位して出家しているので院、つまり上皇として呼ばれます)が生きていらした時に中宮彰子、左大臣道長や近く仕える人たちに、葬儀は土葬で、円融院法皇(父の円融天皇)の御陵のそばに葬ってほしい」と言っていたのに、うっかり道長が火葬にしてしまった。

そのことを相府、つまり左大臣道長も思い出してため息をつき、しかたがないので遺骨を三年たったら(それまでは方角が悪い)円融陵の傍に移そう、ということになった…というのです。

道長は忘れっぽい、もしくはうっかり者、などと紹介されることもあるエピソードなのですが、はたして本当にそうなのでしょうか。