「私はこれまで海外から出演オファーがきても、日本語で演じられない作品はすべてお断りしてきました」(撮影:大河内禎)
往年のヒット曲「修羅の雪」のセルフカバーを含めた6年ぶりのフルアルバム『7(セッテ)』を、2024年3月の誕生日にリリースした梶芽衣子さん。喜寿を迎えてなおエネルギッシュにロックナンバーを歌い、女優であっても歌手であっても挑戦を止めない、その思いを聞いた(構成:山田真理 撮影:大河内禎)

前編よりつづく

役者も歌手も伝える仕事

ひとつ誇りに思うなら、日本で製作され、日本語で演じ、歌ったものが世界で評価されているということです。

私はこれまで海外から出演オファーがきても、日本語で演じられない作品はすべてお断りしてきました。私の拙い英語やフランス語では、自分が伝えたいことは伝えられない。言葉の音だけ付け焼き刃で習っても、伝えたことにはならないと思うからです。

それだけに、私の歌を聴いた方から「どの曲からも、日本語がはっきり美しく伝わってきた」という感想をいただくのが本当に嬉しい。

いまの歌番組を見ていると、「何を言ってるかわからない」と思うこと、ありません(笑)? 先日、テレビで中島みゆきさんの「時代」をカバーしている方がいて聴いていたら、「《四時台》って何のことだろう」と引っかかったのね。それでテロップを見たら、「まわるまわるよ時代は」の「よ」と「じ」を言葉として切り離せていなくて、そう聞こえちゃったらしいの。

歌詞は伝えるためにあるもの。お芝居のセリフと同じなんですよ。読み込んで読み込んで、この人は、この言葉をこういう思いで言うんじゃないかと理解したうえで発する。だからおのずと伝わる力が宿ると思っています。

細かなテクニックは、とうていプロの歌手の方にはかないません。そもそも私、楽譜が読めませんから。まず詞から入るしかない。「こういう女性を歌うんだな」「男歌だけど、どういう意図で私に歌わせるのだろう」と考えながら、自分の感性で世界を作っていく。「伝える力」は、そんな背景からも生まれているかもしれません。