母娘の日常を綴ったエッセイもある詩人の伊藤比呂美さんと、心療内科医として家族関係に悩む人にも向き合っている海原純子さんは、それぞれ幼少期から母との距離に違和感を抱えてきたという。母を看取った、今の年齢だからこそ言えることとは(構成=山田真理 撮影=村山玄子(伊藤比呂美さん)/大河内禎(海原純子さん))
菩薩と夜叉、二つの顔
海原 伊藤さんとは同世代で、互いに一人娘ですね。どのような母娘関係だったのですか。
伊藤 振り返ってみても、うまくつきあえなかったんですよね。正直言って好きな母ではなかった。いつも不機嫌、不満だらけで癇癪持ち。小さい頃から母に「ぐず」と言われ、「気が利かない」「何もできない」とののしられて育ちました。
私は69歳ですが、今でも紐がうまく結べなくて固結びになったりすると、母のイライラ声がどこかから聞こえてくる。(笑)
海原 私の場合、母に抱きしめられた記憶が3歳以降まったくありません。母親というより、近くにいる他人みたいでした。
以前、私のクリニックで働いていた女性のお母さんからの電話をとったとき、私を娘さんと間違えて「あ、Aちゃん?」とおっしゃって。そのときに、「そうか、世の中のお母さんは子どもを名前で呼ぶんだ。それもあんな優しい声で」と知って、ものすごくショックを受けました。
伊藤 海原さんは、どう呼ばれていたの?
海原 「あんた」です。それ以外はなかった。
伊藤 うちもそうだった。ほかに子どもがいないから、「あんた」で済んだのかもしれませんけどね。