イラスト:遠藤舞
ジェーン・スーさんが『婦人公論』に連載中のエッセイを配信。今回は「頭の隅」。インスタグラムのDMに面喰らった数日後、今度は別のSNSでネガティブなコメントを目にしてしまったスーさん。危うく全てを投げだしそうになったけれど、それでもなんとか踏みとどまれた理由は――。

頭の隅

インスタグラムに、「政治的発言は『OVER THE SUN(※)』以外でやってください」というDMが届いて面喰らった数日後、今度は別のSNSで「ジェーン・スーは国際政治に対しての意識が薄く、配慮のない発言をしているのがさみしい(大意)」というコメントを見つけてしまった。ハッシュタグ付きで投稿されていたので、目に入ってしまったのだ。ネガティブなコメントにハッシュタグを付けたということは、投稿者は、自分の意見を広く知ってほしいのだろう。要は、私に対し、自分と同じ熱量で発信しないことを嘆いているのだ。勘弁してほしい。

政治的な発言をしないでほしいとDMを送ってきた人物は、同時期に、同じ番組で政治的態度をハッキリさせない私を嘆いている人がいるとは夢にも思っていないはずだ。逆も然り。困ったことに、どちらも「私はそう感じた」という話なので、私はどうすることもできない。

なぜ、こんなことに。悪いのは人ではない。SNSのせいだ。なんでもかんでも届いてしまうシステムが事態を好転させることもあるし、そうでない時もある。そもそも、「事態の好転」の定義が人によって千差万別である。

言われたほうは、思わぬ方向から飛んできた矢が胸や腹にグサリと突き刺さって息が止まる。私は自力で矢を抜き、やってられんわという顔をする。SNSで発言者を直接煽ったり、悲嘆にくれたりはしない。無駄だからだ。

とはいえ、そうも言っていられない時があることは認めざるをえない。極端に疲労していたり、ささくれ程度の嫌なことが立て続けに起こったあとだったりすると、矢を抜いた傷がジクジクと膿んでくる。気に病んでしまい、すべてを投げだしたくなる。今回は、たまたまそういう時期とうっすらかぶっていて、危うく全放棄しそうになった。なんとかすんでのところで踏みとどまったけれど。

※ポッドキャスト番組『ジェーン・スーと堀井美香の「OVER THE SUN」』