〈テレビ女優〉第一号
トモエ学園の校長先生の小林宗作先生と出会ってから15年後のこと。
玉突きのように、偶然がつながっていって、そのころ、私はNHKで〈テレビ女優〉第一号と呼ばれるものになっていた。きっかけは、NHKが新聞に出した、「テレビジョンの放送を始めるにあたって、専属の俳優を募集します。1年間、最高の先生をつけて養成し、採用者はNHKの専属にします。素人の方でも大丈夫です」という求人広告だった。
私は、有名なオペラを元にした映画「トスカ」を観て(ヒロインのトスカは歌姫)、あんな歌をうたえるオペラ歌手になろうと、母の通った東洋音楽学校(現在の東京音大)に進んでいた。
やがて、その音楽学校をそろそろ卒業するという時期になり、周囲の友人たちはどんどん就職を決めていたのに、私だけ、将来の進路がまだ決まっていなかった。声楽科だったけど、私はコロラトゥーラ・ソプラノという声域なので、もしプロのオペラ歌手になれても、役柄が限定されて、活躍できる場はかなり限られていそうだった。先行きをあれこれ悩んでいるうちに、卒業式は容赦なく迫ってくる。だんだん、〈職業婦人〉(女性が外で仕事をするのが珍しい時代で、そんな言葉があった)になるより、〈結婚〉という言葉のほうが、現実味があるように感じ始めていた。もっとも、誰か決まったお相手がいたわけでもないのです。
とはいえ、結婚すれば、そのうち子どもも生まれるだろう。炊事や掃除、家事全般の腕前だってあやしいものだけど、それよりも、ふと、〈子どもに絵本を上手に読んであげるお母さん〉になりたいなと思って、母に「どこかに、絵本の読み方を教えてくれるところは、ないかなあ?」と聞いた。
母は、事もなげに「新聞に載ってるんじゃないの?」と答えた。さっそく新聞を開いてみると、偶然、求人広告が載っていたのだ。
就職先が決まっていなかった私は、そのころ、新聞の求人欄をときどき覗いていたけど、「求む、ウェイトレス、細面」「求む、女子タイピスト、細面」とか、どの職場も、やたらと細面を求めていた。日本的美人と言えば、色白のうりざね顔で、細面なのだろうけど、私の顔はどう夜露に当てても、力ずくで伸ばしても細面にはなりそうもない。憂鬱になって、母に「ねえ、なんで、みんな、細面が好きなのかしら?」と新聞を見せると、「これは字数を節約してるだけで、委細面談、って意味よ」と教えてくれた。でも、内心どこかにわだかまりがあったのか、私は、NHKの求人広告に「細面」と書いていないのも気に入った。
ともあれ、「NHKが最高の先生をつけてくれるのなら、絵本を読むのも上達するんじゃない?」と、きわめて短絡的に考えて、勇んで応募した。あとで聞くと、NHKが新聞に専属俳優の求人広告を出したのは、その日だけだったという。