NHK専属テレビ女優第一号として、テレビとともに歩み続けてきた黒柳徹子さん。MCを務める人気番組『徹子の部屋』は、2025年で50年目に突入しました。今回は、そんな徹子さんが人生のさまざまな場面で励まされてきた「あの人たちの言葉」で半生を振り返る自叙伝『トットあした』から、一部を抜粋してお届けします。
かつての兵隊さん
子どもの頃をふり返ると、トモエ学園の小林宗作校長先生や友だち、それに家族のことを別にすれば、やっぱり、戦争や疎開のことが、すぐ頭に浮かんでくる。
戦争が激しくなってきたころ、トモエ学園からの帰り道で、きらきらひかる、幅が5センチくらいの、長い銀色の紙をひろったことがあった。銀紙は、ヒラヒラと上から舞い降りてきたばかりのような形で、道いっぱいにたくさん落ちていた。ふんわり広がっているものもあれば、きちんと巻かれたままのものもあって、それぞれが優雅に光っていた。私は歓声をあげた。もう、そういうきれいなものが、一切、手に入らなくなっていた時代だからだ。
私はドキドキしながら、銀紙をひろって、大切に、家へ持って帰り、千代紙の箱にしまった。時々、そうっと出してきて、太陽の光に照らしてみると、まぶしく、うつくしく、つややかに、かがやいた。これは戦後も何十年か、たってから知ったことだけど、この銀紙は、アメリカ軍の飛行機が、日本の電波を混乱させるために、空からまいたものだったという。しかし、あの何もなくなって、つまらない日々に、突然のきらめく銀紙は、まだ小学生だった私を、やさしく、魅力的に、なぐさめてくれたのには間違いない(手に取って害のあるものじゃなくて、本当に良かった!)。
銀紙のことは、いまでも、モノクロームのような当時の記憶の中に、さっと光が射すような感じで、あざやかに思い出すことができる。あれはアメリカが落としたものだし、私が誰かを傷つけたわけでもないから、何の屈託もなく、いつでも思い出すことができる。