詩人の伊藤比呂美さん(右)とシスターの鈴木秀子さん(左)(撮影:岸隆子(Elenish))
両親、元夫、親友と、身近な人を見送ってきた詩人の伊藤比呂美さんは、長年、お経の現代語訳に取り組んでいます。一方、鈴木秀子さんはシスターとして、これまで多くの人の死に寄り添ってきました。宗教の垣根を越えて、人が生きること、死ぬことについて語り合います。(構成:篠藤ゆり 撮影:岸隆子(Elenish))

人は必ず「死」を迎える

伊藤 はじめまして。お会いできることを楽しみにしていました。

鈴木 こちらこそ、お会いできてうれしいです。

伊藤 さっそくですが、なんとお呼びしたらいいですか?

鈴木 シスター、かしら。私はなんとお呼びしましょう。

伊藤 比呂美さん、でお願いします。今日は、「生きる」「死ぬ」についてお話しできればと思いますので、よろしくお願いします。

鈴木 こちらこそ。

伊藤 まず、「よく死にたい」「よく生きたい」とみなさん言いますが、そもそも「死」によいも悪いもないなと私は思うんです。

鈴木 そうですね。人は必ず死にますが、いつどのような形で死ぬのかは自分ではわからないですから。そして本来、「生きていること」にもよい悪いはないと思います。聖書には、神様が人間を創った時に「よし、と見たもうた」と言ったとあり、これは一人ひとりが宝物で、生きているだけで価値があるのだから、人間によいも悪いもないということです。