「肉体的にはキツかったですよ。でも、20歳でデビューしてからずっと仕事が忙しかったので、介護とはいえ母と密な時間を過ごせてむしろ嬉しかった、というのが本音です」(撮影:宮崎貢司)
1980年代に女性芸人として一時代を築き、現在はテレビにとどまらず幅広く活躍する山田邦子さん。2年前に最愛の母親を見送った経験から、「自分らしく死ぬためには、今から準備を始める必要がある」と考えるようになりました。その理由は――。(構成:内山靖子 撮影:宮崎貢司)

社交的だった母が骨折して寝たきりに

母は2023年10月に、89歳で亡くなりました。最期は老衰で眠るように。大往生だったと思います。亡くなるまでの数ヵ月間はターミナルケア(終末期医療)も行っている老人ホームに入居し、スタッフのみなさんの手厚い介護のもとで過ごしていたので、安心して見送ることができました。

とはいえ、そこに至るまでの約4年間は、娘としてさまざまな葛藤があって。「母が元気なうちにこうしておけばよかった」と、いまだに悔やんでいることもあります。

母の介護が必要になったのは、20年頃でした。自宅で転んで、脇腹と足の骨を折ってしまったのがきっかけです。母は、社交的で外出が好きだったんですよ。けれどタイミング悪く、骨折した直後にコロナ禍がやってきた。感染を避けるため自宅にこもって療養しているうちに、脚の筋肉が衰えてしまったんでしょうね。次第につかまり立ちすら難しくなり、最後はほぼ寝たきり状態になりました。

そんな母の介護を一身に担ってくれたのが、8歳年下の弟です。27年前に父が心臓発作で亡くなってから、弟はずっと母と2人で暮らしていました。私は兄と弟の3人きょうだいなのですが、兄も私もそれぞれの家庭があります。弟は独り身で仕事が自由業ということもあり、当初は1人で母の世話をしてくれていました。

でも、慣れない介護で根を詰めすぎたのか、弟も体調を崩してしまいましてね。それからは、私も仕事をしながら毎日のように実家へ通う生活になったんです。食事の世話をするため仕事の合間に実家まで車を飛ばしたり、仕事を終えた深夜から泊まりに行って、翌日の早朝に再び仕事に出かけたりしたこともありました。

肉体的にはキツかったですよ。でも、20歳でデビューしてからずっと仕事が忙しかったので、介護とはいえ母と密な時間を過ごせてむしろ嬉しかった、というのが本音です。