イメージ(写真提供:Photo AC)
高齢者が高齢者の親を介護する、いわゆる「老老介護」が今後ますます増えていくことが予想されます。子育てと違い、いつ終わるかわからず、看る側の気力・体力も衰えていくなかでの介護は、共倒れの可能性も。自らも前期高齢者である作家・森久美子さんが、現在直面している、96歳の父親の変化と介護の戸惑いについて、赤裸々につづるエッセイです。

前回〈88歳の父、1ヵ月分の薬を2週間で飲んだ?認知症の初期症状が現れ、娘との免許返納バトルが始まる〉はこちら

粗相を隠そうとする父の心理

2025年春、父が老人ホームに入居してから1年半が経った。96歳の父の友達は全員亡くなってしまい、昔の話をできる相手は私しかいない。

出張の日以外は夕方1時間から1時間半程父の居室に行き、夕食の時間まで、お茶を飲みながらおしゃべりをしてから私はホームを後にする。帰宅後にまた机に向かって仕事をするのが、私の一日の行動パターンとしてすっかり定着している。

ホームのスタッフが居室の掃除と洗濯をしてくれるのは週に2回。清潔な状態が保たれていてありがたい。掃除がない日に私が行った場合は、ベッドサイドの机の上を拭いたり、洗濯物を畳んだり、届いた郵便物を読んであげたりする。

父はいつも穏やかな表情を浮かべている。家で面倒を見ていた時よりイライラすることはずっと少なくなり、私との親子喧嘩は激減した。

私は父の居室に入るといつも、さりげなくトイレをチェックする。下痢をしている時は便器の内側に飛び散って付着しているのですぐわかる。

「パパ、下痢したみたいだね?」

「そうだったかな」と父はあやふやな返事をした。

ゴム手袋をはめて掃除の準備をしながら、父に確かめた。
「下痢は1回だけ? おなかは痛くない?」

父はニコニコしながら言う。

「俺は体が丈夫だ。おなかはまったく痛くない」

でも、便座に座る前に便は漏れなかったのだろうかと気になって訊ねた。 

「それなら良いけど、下着は汚さなかった?」

「汚してない」

それが嘘なのは、父の足元を見てわかった。軽く丸めたトランクスが1枚ベッドの下にある。粗相をしたのをホームのスタッフに知られるのが恥ずかしくて、父は隠しておきたかったのだろう。どんなに歳を取ろうと、下の始末は自分でできているというプライドが父を支えているのかもしれない。