飛行機での移動中、笑顔の時凡子さん(写真提供:時さん 以下すべて)
2025年は第二次世界大戦の終結から80年という大きな節目にあたります。戦時中、日本のエンターテインメント界も大きな影響を受け、宝塚歌劇団の団員も激動の時代を生き抜いてきました。戦中・戦後の混乱期に活躍した団員に、元・タカラジェンヌの早花まこさんが話を聞き、華やかな舞台の裏で戦争がもたらした現実を振り返り、記憶にとどめる企画です

60年以上前に娘役として活躍した時凡子さん

「パジャマを着て寝るということが、できなかったの」

語られ始めた「当時の暮らし」は、現代の日常からはかけ離れていた。

「寝床でもいつもの服を着て、枕元には靴を置いてね。空襲警報が鳴ったら靴を履いて。毛布がわりのオーバーコートをかかえて、走るの」

まだ11歳だった彼女にとって当たり前になってしまった、不安な夜。その記憶は、今なお鮮明に残っている。

語り手は、時凡子(ときみなこ)さん。今から60年以上前に宝塚歌劇の舞台に立ち、娘役として活躍した元タカラジェンヌだ。結婚して渡米し、93歳になる今もロサンゼルスで暮らしている。愛称は、ぼんこさん。

彼女への取材は、オンラインで行われた。私にとっては宝塚歌劇団の大先輩であるが、その朗らかな語り口調に惹き込まれ、いつのまにか緊張が解けていた。和やかな雰囲気の中で、少女の頃のお話を伺った。

ご両親と二人のお姉さんと一緒に、神奈川県の日吉で暮らしていたぼんこさんは、1945年7月半ばから自宅を離れて疎開をした。

東京の西部にある高尾山の近く、清涼な川が流れる山間の大きな家からは、相模湖が見えた。時折、はるか頭上を軍用機が飛んだが、「ここには、爆弾は落ちないよ」と大人たちに教えられ、とても安心したという。

夏の盛り、山の緑は力を漲らせていた。戦火を避けて暮らす人たちを包み込んだ豊かな自然を、私は想像した。