大きな家の庭でのバレエレッスン
宝塚歌劇に憧れた少女がタカラジェンヌを目指すのに、そう時間はかからなかった。
現在と同じように、当時も宝塚歌劇団に入団するためにはまず、宝塚音楽学校の入学試験に合格しなくてはならなかった。宝塚音楽学校の受験を志した娘を、ご両親は応援してくれたという。
「母は昔から歌が好きで、とっても上手だったの。だから父も母も音楽には親しんでいて、私の宝塚受験に賛成してくれた」
ここで「ちょっと待って!?」と私は驚いた。「終戦後は苦しい生活が続き、舞台に立つような華やかな職業を選ぶ人は少なかっただろう」と、思い込んでいたからだ。「終戦直後」という一括りの中にも多様な状況があり、人それぞれの生き方があったのだと、はっと気付かされた。
それにしても、試験科目にはクラシックバレエもある。全ての娯楽が禁止されていた戦争が終わったばかりの時分、洋舞を習うことに支障はなかったのだろうか。
こんな私の疑問に、ぼんこさんは大きく頷いた。
「ダンスが好きな子たちは皆、戦時中も踊りたくって仕方なかったの。だから戦争が終わったらすぐに、お稽古をやり始めたのよ」
月謝は格安。ダンススタジオなどは無いので、学校の教室や体育館を借りてお稽古に励んでいたそうだ。時には、大きな家の庭でバレエを練習したこともあったという。
「レオタードなんて、無いでしょ。だから自分たちでズボンを切ってお稽古着を作って、それを着て踊ってましたよ」
お手製の稽古着をまとって躍動するダンサーたちの姿が、鮮やかな映像のように思い浮かんだ。ようやく戦争が終わって安堵はしても、重苦しい疲弊感は消えなかっただろう。しかし私の想像を超える逞しさで、人々は前を向いていた。とりわけ、若い世代の人たちの情熱を感じるお話だ。