今でも目に焼きついている伝説の男役スター
主演をつとめた春日野八千代(かすがのやちよ)さんは、のちに「宝塚の至宝」と呼ばれた伝説の男役スターだ。幕開きの場面、紗のカーテンの向こうに佇む源氏の君の姿は、今でも目に焼きついているという。
「それはもう美しくてね、私は声が出せなかったのよ」
こうして彼女は、初観劇ですっかり宝塚歌劇の虜になってしまった。終演後、「帰りたくなーい!」と叫んで動こうとしないぼんこさんに、親友が言った。
「じゃあ気分を変えて、隣の劇場で喜劇を観てから帰ろう」
兵庫県にある宝塚大劇場の隣には当時、宝塚第二劇場があり、宝塚新芸座※の活動の場となっていた。ここでは夢路いとしさん、喜味こいしさんといった人気漫才師を中心として、宝塚歌劇団の生徒と共に、主に喜劇を上演していた。
軽妙で楽しい舞台が人気を博した宝塚新芸座だが、華やかな歌劇の余韻には少々相応しくなかったようだ。
「だってせっかくロマンティックな気分なのに、喜劇なんか観なくていいと思わない?」
「喜劇は観たくない、でも帰りたくない!」と高校生にもなって駄々をこねるぼんこさんに、親友は困り果てたことだろう。ようやく帰路についた二人は、京都までの電車の中で「宝塚トーク」が尽きず、おおいに盛り上がったそうだ。
※参考文献:中本千晶「相克の宝塚」