大戦末期、戦艦大和とともに沖縄水上特攻を命じられた駆逐艦響は周防灘で触雷、落後する。乗組員の浦賀少尉は、日本の内海すら米軍の機雷で埋め尽くされた現実に愕然とする。
戦後、海上保安庁で日本周辺の掃海任務にあたっていた浦賀だが、ある日、緊急電により下関へ向かう。そこには多数の掃海艇が集結していた……。当時の日本の難しい立場を背景に約三十年も秘された事実をもとに、日本人にもっと知ってもらいたいと願う直木賞作家の著者が、全力で挑む歴史大作、ここに開幕!

   五

 

 二度目のトラック、続いてテニアン、さらにパラオ、そしてラバウル。響は南方と内地を忙しく行き来して復員者を運んだ。
 昭和二一年の三月末、ラバウル往復を終えた響は、あちこち傷んだ艦体を修理すべく、太平洋側から回って岡山県の造船所へ向かう。
「取ォリ舵アジ。――戻ォせェ」
 艦橋で号令する浦賀の声は、つい上ずった。
 目の前では左側の淡路島、右側の紀伊半島が紀淡海峡を作っている。その幅は約一〇キロメートルだが、間に島が二つあり、瀬戸内海へ通じる友ヶ島水道は最大で二キロメートルほどしかない。水面下の地形も加味すれば、船が通れる隙間はごく狭い。
 沖山艦長が浦賀航海士に操艦を命じたのは、その紀淡海峡に差し掛かる直前だった。命じられた浦賀のほうは、何度か操艦を任されている。ただし拓(ひら)けた外海ばかりで、狭水道は初めてだった。艦長としては、兵学校教官時代の教え子に対して、最終試験でも課すつもりだったらしい。
 浦賀は額と脇に汗をにじませながら、こまごまと舵を切る。速度は思い切り下げたいが、あまりに低速だと舵が利かないから、かえって危ない。
 やがて、響は静かに友ヶ島水道を抜けた。時間にすればたぶん一五分も経っていなかったが、浦賀はずっと、谷間に渡された綱の上を思い切り走っているような気分だった。
「上出来だ。朝飯を食ってこい」
 それまでずっと黙っていた艦長は端的な言葉で浦賀をねぎらい、「両舷前進強速。一八ノットに」と命じた。物資の搬入に手間取ったため出航が遅れており、岡山まで急がねばならなかった。
 浦賀はよろめきながら甲板を降りる。それほど気力を消耗していたが、言い知れぬ高揚もまた覚えていた。
「失礼します」
 と断って士官室へ入ると、二人の先客がいた。顎ひげ豊かな水谷機関長は、うっすら機械油が延びたままの頬を動かして飯を食い、もう食べ終わったらしい島田航海長はのんびり茶をすすっている。
 浦賀は士官室の隅へ行く。かつてなら将校の食事は当番兵が配膳してくれたものだが、いまは自分でせねばならない。盆と食器を取り、ブリキ缶から麦米飯をたっぷりよそい、味噌汁をすくう。今日は主菜も副菜もないらしく、あと沢庵の小皿だけを持ってゆく。
 予算に比べて人員が少ない海軍は食材が潤沢で、終戦の直後くらいまでは立派な食事が出ていた。いまは民間より少しまし、というくらいだ。いちおう将校の食事は自弁だが、支払った紙幣そのものが食材になるわけでもない。物不足とインフレの情勢下、将校の食事は下士官兵と同じものになっている。
「ご苦労。無事に抜けたようだな」
 浦賀がテーブルに着いたところで、島田航海長が口を開いた。
「艦長と航海長のご指導あってのことです。いつもありがとうございます」
 浦賀は本心から礼を述べ、箸を取る。
「貴様もずいぶん、こなれてきたな」
 飯を呑み込んだ水谷機関長がニヤリと笑う。大和特攻のとき、響は瀬戸内海で触雷した。当時の艦長に命じられて浦賀が様子を見に行くと、水谷機関長以下の機関科員がエンジンの復旧に奮闘していた。
「まだまだ、ひよっこです」
 少尉に任官してからまだ一年半も経っていない浦賀は、さらに恐縮する。ただし特攻を命じられ、触雷を体験して落伍し、短い期間ながら掃海隊の指揮も執った。敗戦と、憧れて入った海軍の消滅も経験した。時代が、浦賀を荒っぽく鍛えているように思えた。
「もう少し浦賀の成長を見届けてやりたかったが、俺はこの航海でお別れだ。世話になったな」
 機関長はそう言い、沢庵を口に放り込んだ。
「就職先では、部長にお成りでしたっけ」
 島田航海長に聞かれて、機関長は苦笑した。
「機関学校の同期が始めた自動車整備会社の、整備部長だ。といっても部員はおらんし、経理部長は同期の細君。俺が三人めの社員なんだと。航海長は海軍、いや第二復員省に残るのか」
「私は、機関長ほど伝手(つて)に恵まれておりませんで。第二復員省だって、いつまでもあるわけでなし。考えねばならんとは思っていますが、頭が追っつきませんな」
 年嵩の二人は、のんびりと身の上話をしている。浦賀は麦米飯を口に入れ、それから味噌汁の碗に左手を伸ばす。
 浦賀の手が届く前に、碗がころりと転がる。こぼれた味噌汁のゆくえを追う視界がぐるりと巡る。椅子ごと後ろにすっころんだ、と浦賀が気づいた時には、士官室は轟音と激しい振動に揺さぶられていた。
「触雷っ」
 直感のまま浦賀は叫んだ。艦隊特攻で出撃していた三田尻沖での記憶は、いまと同じ感触だった。
「機関室へ行く」
「状況は艦橋で伺います。浦賀も艦橋だ」
 機関長と航海長は、動揺をものともせず立ち上がっていた。歴戦の将校に戻って駆け去る上官二人にずいぶん遅れて、浦賀は腰を上げ、そのまま目も上げる。天井の電灯は発光したままだった。
 艦橋に飛び込んだ浦賀は、航海長と手分けして伝声管や艦内電話に取りつき、被害状況の報告を取りまとめる。
 艦長は、緊急時の職責を黙々とこなしていた。つまり泰然としている。その背筋に緊張が走っていることは、すぐ背後にいる浦賀にしかわからないだろう。艦長の響着任は三田尻沖での触雷の後で、それ以前も機雷に出くわした経験はないらしい。
「大丈夫です、艦長」
 各部からの報告が途切れたわずかな合間を縫って、浦賀は言った。
「いまの衝撃はほぼ確実に触雷でしょうが、艦の電源は落ちていませんから、大きな被害は出ていないはずです。本艦は弾薬をひとつも載せていませんから、誘爆のおそれもありません」
 しんと艦橋が静まり返る。
 そこで浦賀は自らの僭越を悟った。まだ海に出て二年も経たぬ少尉風情には、あまりに身をわきまえぬ進言だった。自分の操艦で狭水道を無事抜けたという高揚、また機雷には慣れているという慢心があり、その実、触雷に慌てて自分の階級さえ忘れてしまっていた。
「なるほど、浦賀航海士の言うとおりだ」
 沈黙を破って磊落(らいらく)な笑い声をあげたのは、艦長だった。続いて航海長と当直員も笑う。戦中だったら殴られていたかもしれない浦賀の僭越は、艦橋にいた将校たちの虚を衝き、次いで可笑しみを誘ったらしい。浦賀にとっては小莫迦にされた気がしないでもなかったが、艦橋は落ち着きを取り戻し、進言した内容も否定されなかったから、誇らしさもまた覚えた。
 機関停止、舵故障、発電機出力低下、目視できる浸水箇所なし。響の被害は以上だった。艦の後方五〇メートルほどのあたりに水柱を見た乗員がおり、機雷の爆発であろうと推測された。一七ノットの高速で走っていた響は、舵が利かぬまま惰性で前進を続けている。航海長は機関室に降りてゆく。
「このまま直進で支障ありません」
 浦賀は僭越のついでで、海図を睨みながらさらに進言した。
「この先は、より水深が深い。そもそも機雷がないか、あってさらに触雷しても軽微な損害で済むはずです」
「うむ、よろしい」
 艦長は重々しくうなずき、それからゆっくり首をかしげた。
「ところで浦賀航海士、俺の帽子を知らんか」
 浦賀はさすがに戸惑う。
「触雷の時、艦長はどちらにおられましたか」
「便所にいたな」
 少々お待ちを、と告げて浦賀は細い階段を駆け下りた。士官便所の壁のフックには、士官以上であることを示す二本の線が入った略帽が掛かっていた。
「さすがに驚いた」
 略帽を受け取った沖山艦長は、浦賀にしか見えない角度で照れた表情を見せた。    〈つづく〉

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