出勤前にいつも立ち寄る場所がある。

 早朝の薄い日差しの中、永野敦子は左手首の腕時計を確認しながら小走りで福来屋日本橋本店の正面玄関へ向かった。まだ閉められているガラス製の自動ドアの左隣に設置された、福来屋のシンボルとも言える雀の銅像に近づく。像は青銅製で、大人の両てのひらを合わせたぐらいのサイズの巣に、二羽の親鳥と、三羽の雛が収まっている。

 親鳥たちは赤と白の毛糸で作られた小さなサンタ帽を被り、雛たちの体の周囲には緑と白のストライプ柄のマフラーが広がっていた。ああやっぱり、雛の体にマフラーを結ぶだけでは、時間経過と共にほどけてしまうみたいだ。マフラーは一度持ち帰って、ほどけにくくなるように内側に小さなボタンかなにかをつけた方がいいかもしれない。

 敦子は親鳥たちのサンタ帽を接着している両面テープの強度を確認し、雛たちの体にマフラーを結び直した。とりあえず今日一日はこれで営業してもらおう。

「おはようございます」

 背後から声をかけられ振り返ると、スーツ姿の男性がいた。年頃はきっと四十代半ば―自分と同じくらいだろうか、と敦子は見当をつける。短く整えられた髪型と、スクエアな眼鏡が合わさって真面目そうな印象を受ける。たしか同じ会社の人だ。年末年始の会合で見た覚えがあるが、部署が違うとなかなか名前が出てこない。ひとまず「おはようございます」と挨拶を返した。男性は目尻にしわを刻んで朗らかに微笑んだ。

「急にお声がけしてすみません。私、宣伝部の岩本といいます。もしかして、噂の雀衣装部の方ですか?」

「雀衣装部? ……え、噂になってるんですか?」

「はい。毎月、雀たちにすごくかわいらしい衣装を編んでくださっているので、誰が作ってるんだろうって、よく本社でも売り場でも噂になっています。私も何度か福来屋のSNSアカウントで紹介させてもらったんですが、お客様からの反応も上々です」

 一応社長の許可は得ているものの、編み物好きが業務外で細々と続けている趣味に等しい活動が、それほど注目されているとは知らなかった。敦子は照れくささで目線が下がるのを感じた。

「うれしいです。えっと、衣装部っていうほどちゃんとした集まりではなくて、私たちは単に『編み部』って呼んでるんですけど、私……あ、すみません、食料品フロアで和洋菓子売り場のマネージャーをしてます、永野です。あと、家具売り場の牧さんと、本社のEC事業部の染谷さん。この三人でよく雀の衣装を作っています」

「そうだったんですね。今月のクリスマス衣装はどなたが担当されたんですか?」

「帽子とマフラーは私です。でも、ここからさらに牧さんが親鳥たちにマントを用意してくれることになっています。クリスマス当日に向けて、さらにお洒落して盛り上げていけたらなと」

「素敵です。あ、じゃあ、雀たちがクリスマス支度をしていく姿を発信したいので、この状態でも何枚か写真を撮らせてください」

「どうぞどうぞ」

 敦子は銅像から体を離し、岩本に場所を譲った。岩本はスマホを操作し、幾度か角度を変えて写真を撮った。画面を確認し、満足そうにうなずく。

「ありがとうございます。追加のマントも楽しみです」

「牧さんに伝えておきます」

「皆さんは、もともと編み物が好きでお知り合いだったんですか?」

「いえ、なんというか、いろいろ縁があって……私は五年前、当時のEC事業部の部長に誘われて活動に参加しました」

「もしかして今、永野さんがつけているマフラーも手編みですか」

「あ、はい」

 敦子は照れまじりに縄模様が入った深緑色のウールのマフラーを首元から抜き、岩本に向かって広げてみせた。岩本は「おお」とまっすぐな感嘆の声を上げる。

「すごいな……こういうのって、完成までどのくらいかかるんですか?」

「私はのんびり寝る前に編んでいたので、三週間ぐらいでした」

「なるほど……」

 立ち話が長くなってきた。それに気づいてか、岩本はすまなそうに片手を上げた。

「ごめんなさい、取材っぽくなってしまいました。どんな人が衣装を作ってるんだろうって、ずっと気になっていたんです。銅像に手編みの衣装って、温かみがあってすごくいいですね。これからも編み部の皆さんのファンとして、活動を応援しています」

 岩本の表情は明るく、熟れた桃のように紅潮した頬から喜びが放射されていた。普段仕事の場ではあまり出会わないまっすぐな感情を受け、敦子は、あの、と声をかけた。

「もしかして岩本さん、編み物がお好きなんですか?」

 去りかけていた岩本は半端な姿勢で動きを止め、ぎこちなく振り返った。頬だけでなく、じわじわと耳まで赤くなっていく。

「ええと……はい。十数年前、冬季オリンピックの中継映像を見ているときに、ヨーロッパの男性選手が競技の待ち時間に編み物をしている姿を見て、うまく言えないんですけど、すごくかっこよく見えたんです。それ以来、少し憧れがあります」

「それは、けっこう年季の入った憧れですね」

「はい。ただ、初心者向けの編み物の本を買って試してみたものの、途中でよくわからなくなってしまって、結局は挫折しました。いや、お恥ずかしい」

「岩本さん、よろしければ編み部に入りませんか」

「えっ」