岐阜県可児市・久々利(くくり)城跡。美濃国守護の土岐頼康の弟・康貞が築城(写真提供:春風亭昇太さん)
歴史関係の本がベストセラーになり、「歴女」や「刀剣」などに象徴されるように、現在は空前の歴史ブーム。その中でも「中世の山城」を40年以上追いかけ、いまや専門家と一緒に発掘に参加するまで活動範囲を広げている春風亭昇太さんに、歴史の醍醐味と楽しみ方を聞いた(構成=篠藤ゆり 写真提供=春風亭昇太さん)

変わりつつある歴史上の人物像

最近、歴史への関心が高まっていますよね。お城関係の本や記事も、昔は天守閣の羅列みたいで面白くなかったけれど、最近は普通の雑誌でも中世城郭が載っている。時代が変わったなと感じています。

ひとつには、新しい史料が発見されたり、新たな研究が進んでいるからでしょう。とくに僕が関心のある中世に関しては、イメージがどんどん変わってきています。

たとえば今川義元。かつては悪者扱いされていたり、公家風だと言われていたりしました。ただ講談や映画、ドラマで描かれていた人物像は、あくまで物語を作るためのもの。最近は先進的な大名だったということで、見直されています。まともな中世史の本を読んだ人で、今川義元を凡庸な大名だったなんて言う人は、いないでしょう。

僕は静岡県の生まれなので、昔から今川氏関係の本をよく読んでいました。昔の本には、今川義元は織田に攻め入る時、輿に乗って尾張に向かい、信長にやられた。油断しているからだ、などと書かれている。

でも子どもの頃からずっと、「ちょっと待てよ。じゃあ、信長はなんで死んだんだ」と思っていました。今川義元は、戦場で死んでいます。しかも相手と切り合ったりして、ちゃんと戦ったうえでの戦死です。そこへいくと信長は、本能寺で寝ている時に家来だった明智光秀に奇襲されて死んでいるわけでしょう。どっちが油断しているんだ、と。(笑)