謎解きは一直線には進まない

「日常の謎」系と呼ばれるミステリの第一人者である著者は、名アンソロジストとしても知られている。国内外の推理小説はもとより、近代文学(とりわけ詩歌)から落語に至るまで、古今東西の言葉の表現に通暁しているからだ。本書はそんな読書の達人が、折々に出会った本や人にまつわる「謎」を手がかりに、読書の歓びを自在に綴った、一見エッセイ風の「小説」である。

書名に採られた「ゆき」「つき」「はな」のほかにも、「よむ」「ゆめ」「ことば」といった、書物と文学をめぐる本質的なキーワードが各話のタイトルに掲げられており、文学をめぐる「謎」がそこから緩やかに立ち上がる。

たとえばどんな「謎」か。「ゆき」の章は三島由紀夫が芥川賞をなぜ取れなかったか、という話題を導入に、ふと山田風太郎の時代小説「笊ノ目万兵衛(ざるのめまんべえ)門外へ」が想起される。この作品の冒頭で〈だれでも知っている〉句として引かれる〈雪の日やあれも人の子樽拾い〉という俳句は、本当は誰の作なのか。そもそもこの句はいつ頃から、〈だれでも〉知るようになったのか。

謎解きは一直線には進まない。過去に読んだ本、聞いた落語の噺などを思い起こしつつ、むしろ遅延に遅延を重ねるように、脇筋のエピソードが語られる。やがて「担当」の編集者や「敏腕編集長」の助言により、古書店や図書館にある本が重要な証拠として示される。読み進むうち、ミステリ仕立ての「私小説」とはこういうことか、と膝を打つことになる。

「はな」の回に〈本と本とは響き合うものだ〉という一節がある。本書のテーマはこの短いフレーズに尽きている。その静かな余韻をいつまでも楽しみたい一冊である。