ヤマザキマリさんのエッセイやインタビューにしばしば登場する「ヴィオラ母さん」。そのせいか仲の良い親子と思われることも少なくないそうだが、娘としては、むしろ気が合わない相手だったのだという(文・写真=ヤマザキマリ)
ひと回り小さく、髪も真っ白になった母
入院生活の続く母と最後に会ったのは去年の暮れのことだ。車椅子の上で嬉しそうに微笑む母の佇まいはひと回り小さくなり、髪の毛もすっかり真っ白になっていた。イタリアからクリスマス休暇で日本を訪れていた夫も一緒だったが、彼の顔を見るなり母の表情はきりりと意識の行き渡った微笑みとなり、英語で「お久しぶり」と挨拶をした。
パーキンソン病とレビー小体型認知症を患い、記憶が徐々に失われていく中にあっても、状況次第で即座に社会対応仕様の自分を取り戻す母を傍で見つめていると、プライドを盾に苦労をしてきたのだなあ、という労いの気持ちが芽生えた。
そんな母については今までたくさん文章や漫画で表現してきたが、そのせいか「ヤマザキさんは本当にお母様が大好きなんですね」と言われることがある。確かにここ数年、世の中には母親という存在を批判的に捉えた書籍もずいぶん出ているし、そもそも日本人には、イタリアなど地中海沿岸地域の人々と違って、母親への無償の愛情や思い入れを大っぴらにする性質はない。私が母を題材にしたエッセイを書けば「ヤマザキさんは母親好き」と短絡的に解釈されるのも、そういうバックグラウンドを踏まえれば理解できる。
では、私と母は果たして良い相性なのかというと、決してそうだとは思わない。もし母が、私の学校の同級生であったとしても、友人関係になっていたかは怪しい。私が14歳で欧州に一人旅に出たのも、17歳からイタリアに留学してしまったのも、基本的には母と離れたかったという動機があったからだ。