『ちびまる子ちゃん』収録中のスタジオでのキートン山田さん(写真提供:著者)
俳優や声優、ナレーターとして著名なキートン山田さん。『ちびまる子ちゃん』や『ポツンと一軒家』、『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』などの人気番組を長く担当されてきたことから、その声を聞いたことがない人はいないのかも。そのキートンさん、70年代に起きたアニメーションブームの波に乗ったものの、80年代に入ってブームが去ると、仕事をほとんど失ってしまいました。死ぬことまで考えた「どん底」と評する毎日を経て、ナレーターとしての仕事を獲得していく中、運命を変える“番宣”を手掛けることに――。

人生を変えた、たった15秒の番宣

38歳のとき、本名からキートン山田へと改名したことをきっかけに、新番組『テレビあッとランダム』〈1984年(昭和59年)10月~1990年(平成2年)3月/テレビ東京〉のナレーションに抜擢された。

『テレビあッとランダム』は、「ああ、あの人、ナレーションもやるんだ」って、認知してもらう大きなきっかけとなった番組だったし、あの仕事がなかったら、『ちびまる子ちゃん』と出会うこともなかった。

あるとき、「ナレーションの仕事があるから」と事務所から電話があり、アニメの新番組宣伝のためのスポットで15秒ほどのものだと聞かされて、軽い気持ちで仕事を受けたのをよく覚えている。

「ちびまる子ちゃん 1月7日 放送開始」といった、テレビでよく耳にする、あのスポットCMだった。

当時の僕の手帳には「チビ丸子」と書いていて、雑誌に掲載されていることも知らなかったし、当然、コミック単行本が出ていることもまったく知らなかった。

僕は単発の仕事のつもりだったから、気負いもなければ、狙いもなく、見たまんま素直にやって、いつものように「お疲れさまでした」って帰ってきたの。

ところが、しばらく経って「レギュラーで起用したい」っていうオファーがきて、あの超人気番組『ちびまる子ちゃん』〈1990年(平成2年)1月~/フジテレビ〉の放送がスタートしたんだ。

当時、アニメ番組はだいたい半年~1年サイクルだったから、まさか30年以上続くなんて、だれも予想していなかった。