また、旅に出られなくても、温泉の豆知識を得ることで、湯けむりに思を馳せ、癒しを感じることも…。消化器外科医・温泉療法専門医であり、海外も含め200カ所以上の温泉を巡ってきた著者が勧める、温泉の世界。安心して、どっぷりと浸かってみてください。
※本記事は『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える 心と体に効く温泉』(佐々木政一、中央新書ラクレ)の解説を再構成しています。
前回「旅と酒と温泉をこよなく愛した歌人・若山牧水。〈私は常に思って居る、人生は旅である〉。徳富蘆花、斎藤茂吉も旅で作品を生んだ」はこちら
文豪が愛した名湯
日本特有の温泉風土を舞台背景にして、書き上げられた文学作品はとても多い。これは、世界を見渡しても珍しい。日本文学ほど、温泉なしでは語れない文学はないと言えるだろう。日本各地の温泉を舞台にした文学作品をたっぷりと紹介しよう。文学と温泉の世界にどっぷりと浸かってみるのもいいものだ。
●蔦(つた)温泉(青森県十和田市奥瀬)
大町桂月『冬籠帖』
青森県十和田市の南八甲田の麓にある蔦温泉は、明治時代の歌人で紀行作家の大町(おおまち)桂月(けいげつ)が終(つい)の住処(すみか)とした所として広く知られている。桂月はこの温泉をこよなく愛し、十和田湖と奥入瀬(お いらせ)渓流の美しさに心奪われ、流れや滝、岩などに名前を付けて紹介した。晩年には本籍を高知県よりこの地に移し、終の住処とした。奥入瀬渓流遊歩道入り口の焼山には、
「住まば日本(ひのもと)遊ばゝ十和田歩きゃ奥入瀬三里半」(桂月の日記)
の名歌の歌碑が建てられている。
蔦温泉は久安(きゅうあん)3年(1147)には、すでにこの地に湯治小屋があったことが文献に残っている。十和田樹海と呼ばれるブナ原生林の中に一軒宿の「蔦温泉旅館」のみが営業。
大正時代に建造された本館と、総ヒバ造りの浴槽で、源泉がブナの底板の間から湧き上がる源泉かけ流しの「久安の湯」が自慢の宿である。桂月が蔦温泉で詠んだ歌には、
「ここちよさ何にたとへん湯の瀧に肩をうたせて冬の月見る」(『冬籠帖(ふゆごもりちょう)』)などがある。
大正12年(1923)には当時の村長の依頼で、「十和田湖を中心とする国立公園設置に関する請願」の請願文を起草し、その2年後の朗報を聞くことなく、
「極楽へこゆる峠のひとやすみ蔦のいで湯に身をばきよめて」(口述)
という辞世の歌を残し、胃潰瘍による大量吐血のため、家族や従業員に見守られながら蔦温泉で息を引き取った。墓碑もこの歌の歌碑も蔦温泉の敷地内にある。