撮影:藤澤靖子
終戦から73年。戦争の時代に少年少女だった人たちが高齢になっています。平和な時代を生きる私たちにとって戦争は無縁に思えますが、過去の大戦を体験した人々も、平穏な日常生活を送っていたのです。どのように国は戦争に向かっていくのか。普通の人の暮らしはどう変わるのか。時代の移り変わりを体験した人たちに、詩人・エッセイストの堤江実さんが取材します。

宇宙創成にかかわる「ゆらぎ」研究の第一人者であり、研究の成果を平和教育に役立てる活動を続けている理学博士の佐治晴夫さん。後に科学者となる佐治少年は、どのような戦争体験をしたのでしょうか。


父が厳しい表情で「大変なことになった」

僕が生まれたのは、1935年の東京。二・二六事件の前の年です。青年将校たちの反乱に東京中が騒然となりました。わが家で子守りをしていた当時13歳のお菊さんは、1歳になったばかりの僕を抱いて押入れの奥に布団をかぶって隠れたとか。

2歳で日中戦争。国家総動員法の制定が3歳。日本中が戦争に向かって雪崩を打った時代です。

1941年12月8日の日米開戦が、6歳の時。開戦の日、朝起きると、父が厳しい表情で一言、「大変なことになった」と口にし、急いで背広を着て出かけていったのを覚えています。

父は世界情勢と対峙する立場にあった日本銀行に勤めていましたので、当時の日本の状況はよくわかっていたはずですが、家では戦争の話を聞いた記憶はありません。僕と兄たちとは年齢が離れていたので、知らないところでそうした話は出ていたかもしれませんが。

戦争中は、とにかく暗かった。灯火管制で、電灯に布で覆いをかけて光が漏れないようにしました。そんななかでも、兄たちと布団をかぶり、蓄音機を抱きかかえて、ベートーベンの月光ソナタなどを聞いていました。

少年雑誌には、第一次世界大戦の話や、当時の満洲(現・中国東北部)での日本軍の活躍が非常にかっこよく描かれていて、子どもながらに感動したものです。10歳上の兄の中学校では、軍事教練が始まっていて、匍匐前進や三八式小銃の実弾射撃演習をしたと兄から聞いた記憶があります。優秀な生徒たちは、一高(現在の東京大学教養学部)よりも海軍兵学校を目指しました。