脳の専門医だった若井晋さんが若年性アルツハイマー病と診断されたのは59歳のとき。妻・克子さんは苦悩する夫を支え、人のために役立ちたいと願う夫とともに講演活動を行ってきた。ともに歩み、見送ったいま、思うことはーー。(構成=村瀬素子 撮影=洞澤佐智子)
「漢字が書けない」
夫の晋(すすむ)は、脳神経外科の執刀医として数多くの手術を行ってきました。そんな彼が、50代で認知症になるとは思ってもみませんでした。
夫が54歳、私が55歳の頃、夫が「漢字が書けなくなってきた」とこぼしたのですが、そのときは、パソコン仕事の影響や年のせいかな、という話で終わって。当時、夫は東京大学の教授としての講義や論文指導のほか、専門誌の編集委員を務め、国際地域保健学の専門家として国内外へ出張するなど、多忙な毎日を送っていました。
夫が56歳の頃、いつもの会合に出かけた日、「道に迷って辿り着けなかったよ」と憮然として帰宅したことがあります。とはいえ、家でも仕事をして疲れている夫に、家族も当たらず障らず状態。
私自身が「あれ、以前と違うな」と思ったのは、なんでも器用にこなし、せっかちだった夫が駅の券売機のボタンを一つずつ確かめているのを見たときだったでしょうか。日常生活での変化がときどきある程度で、むしろ激務のせいか、夫に下痢と体調不良が続いていることのほうが心配だったのです。
夫が57歳頃のこと。勤務先の夫からATMでお金をおろせないという電話が入り、慌てて現金を届けにいったことがあります。道すがら、さすがに老化現象とは思えず、夫に何が起きているのだろうと不安になって。そこで、北海道で研修医をしていた次男に電話で相談したところ、受診を勧められました。
でも素人の私が、脳の専門家の夫に「病院で診てもらおうよ」と面と向かっては言い出せません。何日か逡巡して、最近の異変を箇条書きにしたメモを手渡したのです。
駅の出口を間違えたこと、住所が書けなくなってきたこと……。夫は紙に目を通すと、「じゃあ、行くよ」とつぶやきました。