90年代末、アニメにまつわるビジネスモデルが変わっていった
やせいの ドラゴンボールおじさんが あらわれた!
……と、海外の観光地へ行くと、毎回思っている気がする。ここで言うドラゴンボールおじさんとは、ドラゴンボールTシャツを着ているか、ドラゴンボール帽子を被っているか、超サイヤ人になった孫悟空のタトゥーを入れている人のことで、一人や二人は必ずすれ違う。
このように海外のファンがアニメに熱中してくれたことで、日本はアニメ文化の価値に気づき、研究も行うようになったと言える。
というのも、アニメや漫画は、20年少し前まではほとんど学術的に価値が見出されていなかった。転機が訪れたのはインターネットが普及し始めた90年代末頃。日本アニメーション学会会長で、横浜国立大学教授の須川亜紀子さんはこう説明する。
「90年代末〜2000年代初頭はクールジャパンの一つとして、海外でもアニメに熱中する人が出てきた頃です。日本は外圧に弱いのか、その流れの中で、学問としても価値があると思われるようになりました。貿易で利益を出す『経済大国日本』が斜陽になってきた時に、日本が勝てるものが文化コンテンツのソフトパワーだと認識されるようになったのです」
その人気の火付け役になったのがまさしく「ドラゴンボール」や、「ポケットモンスター」や、「美少女戦士セーラームーン」といったアニメだ。これらは海外で爆発的な人気を博した。
その前の60年代には「鉄腕アトム」をはじめ、「鉄人28号」や、「マッハGoGoGo」もアメリカに入っていたものの、日本のものだと認識されずに放映されていた。
90年代のアニメが成功したのは、アニメを見てもらうだけでなくグッズを買ってもらうことを狙ったマーチャンダイズ戦略がうまく運んだためでもあるということが、研究のおかげでわかっている。
例えばポケモンはカードゲームのほうをまず楽しみ、プラスでアニメを見るという楽しみ方があった。それに加えてピカチュウのようにかわいいキャラクターのグッズを買う。
90年代末はこうした多様な楽しみ方が戦略的に促進され始めた頃で、アニメにまつわるビジネスモデルが変わっていった結果、世界中の人たちがアニメを楽しむようになった。さらに同時期に、以前であれば日本だけに閉鎖されていたコンテンツがインターネット(特にストリーミングサイト)を通じて伝播して、世界中の人がほぼ同時に同じようなコンテンツを見られるようになった。