(写真提供◎青木さん 以下すべて)

 

青木さやかさんの連載「49歳、おんな、今日のところは『……』として」――。青木さんが、49歳の今だからこそ綴れるエッセイは、母との関係についてふれた「大嫌いだった母が遺した、手紙の中身」、初めてがんに罹患していたことを明かしたエッセイ「突然のがん告知。1人で受け止めた私が、入院前に片づけた6つのこと」が話題になりました。
今回は「40年ぶりに母校を訪れた人」です。

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40年ぶりに母校にきた理由

2023年1月、わたしは我が母校、愛知県尾張旭市城山小学校の教室にいた。
この教室に入るのは、40年ぶりだと思う。記憶力がないわたしは、昔のことをほとんど覚えていないのだが、教室に入り、窓際の席に座り、外をみていると、昔のことが蘇ってきた。

南側の窓から見えるのは、森のような木々達と綺麗な池で、そうだ、いつもこの景色を見ていたな、と思い出した。南側の窓際は、陽が入り冬でも暖かくて眠くなったことや、持久走をしている他のクラスの子達をみて、あゝ体育が来ないといいなあと思ったり、前の席に座っている友達と手紙の交換をする授業中がやけに楽しかったり、わたしが鍵っ子で毛糸に鍵を通して首にかけていたことや、それで時折あやとりしていたことや、高学年になって急に鍵を首にぶら下げているのが恥ずかしくなったことや、色々。

母校にきた理由は、NHKの『インタビューここから』という番組のロケをするためだ。NHK名古屋の男性アナウンサーの企画で、わたしの生い立ち、母との確執などを、故郷を巡りながら、その時々の思いを語る、というインタビュー番組である。それはそれは実にわたしを詳しく調べてくださっていて、もし青木さやかクイズがあれば、記憶力のないわたし本人より、高得点をとれるに違いない。全部わかった上でインタビューされるから、正確に深く応えたいと、自分のことを聞かれているのに緊張感が走る。

わたしは、母が好きでなかった時、同じように故郷のことも好きではなかった。故郷=母 のようだな、と感じていて東海道新幹線で、「間もなく三河安城」とアナウンスが聞こえると、もうすぐ故郷だ、母の近くだ、と、溜め息をつきたくなったものだ。

教室から見える景色。城山公園と長池