(画=一ノ関圭)
詩人の伊藤比呂美さんによる『婦人公論』の新連載「猫婆(ねこばばあ)犬婆(いぬばばあ)」。ショローをすぎた伊藤さんが、猫や犬に囲まれてゆったりと生きる「今」を綴ります。今回は「オバQの服」。いつも同じ黒いシャツとジーンズでどこへでも出かける伊藤さんは、喪服を持ってないとのことですが―― (画=一ノ関圭)

こないだもお葬式に行った話をしたが、あれからまたお葬式があった。この頃はお葬式が多い。亡くなる人はいつの世にもいたろうに、今はほんとに多い。八十や九十の知り合いが多くなったということなんだろうけど、それなら、これからどんどん多くなるばかりじゃないか。

あたしは喪服を持ってない。それでもぜんぜん困らない。いつも同じ服を着ているからだ。上は黒のシャツ。下は黒いジーンズ。

早稲田に着任した五年前はTrue Religionのロゴ入りの半袖のTシャツをつねに着ていた。下は黒いジーンズだった。それでどこへでも行って何でもしてたが、む、まずいなと思う場に何度も遭遇した。日本に住んで東京にいると、誰かの授賞式に仕事帰りに寄る、てなことが何度もあったのだ。

誰か、たとえば亡き母とかに「あんたもいい年をしたおとななんだから、もう少しまともな服装しなさい」と叱られたわけではないが、自分で、自発的に思った。

自分が主役ならともかく、他人が賞をもらう場に立ち会うわけで、賞にもその人にも敬意を表さなくてはと思い、スーツもドレスも着物も着る気はないが、せめて襟のあるシャツを着ていればと思ったわけだ。

それでいつのまにか黒いシャツを着るようになった。夏は白も着る。シャツの形はさまざまで、短いとか長いとか、やや薄いとかやや厚いとか襟の形が違うとかいろいろあるけど、人が見たらほぼ同じ。どんな正式な場もこれでやり過ごす。といっても、これまでいちばん正式な場といえば、授賞式か大きい場所での講演会くらいだったのに、最近はお葬式、お別れ会、そしてまたお葬式。でもそのたびにあたしは、何着ようかなどとうろたえず、平然と、よれっとした黒いシャツとジーンズを脱いで、洗濯済みの黒いシャツとジーンズに着替えて出かけるばかりである。