参議院議員(無所属)だった頃の市川房枝(昭和45年4月21日撮影、本社写真部)
戦前から戦後にかけて、女性の地位向上を様々な方法で訴え続けた市川房枝。「女性の参政権」を求め、戦後は無所属の参議院議員として活躍した彼女の方法論は、今に生きる私たちのキャリア形成にも生きるものがあると、『日経WOMAN』編集長を務めたジャーナリストの野村浩子さんは言います。国連総会で女性差別撤廃条約の採択が行われる前後、市川が行っていた、日本での変化を促すはたらきとは――。

天皇皇后両陛下の前でのスピーチ

国際婦人年の節目で市川が行ったスピーチには、いまも語り継がれる言葉がある。

1975年11月5日、天皇皇后両陛下臨席のもと、国際婦人年を記念しての行事が開かれた。

「国際婦人年記念日本婦人問題会議」と題する大会で、労働省、総理府、国連協会主催。会場となった芝のプリンスホテル大広間を全国から招かれた約1000人が埋め尽くした。ここで市川は、天皇皇后両陛下のかたわらの檀上で、約2分の「祝辞」を述べている。書き起こすと少し長くなるが、以下全文を紹介したい。

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婦人の地位の向上を望む婦人達の運動に対し、かつては、政府、警察からはなはだしく非難弾圧されたものでした。

しかるに本日は政府自身の主催で、天皇、皇后両陛下の御臨席の下に、男女の平等、開発、平和への婦人の参加を目標とする、国際婦人年の国内式典が行われるにいたりましたことは、まことに感慨の深いものがあります。

参議院においても去る6月、私共、全婦人議員の発議により「国際婦人年にあたり、婦人の社会的地位の向上をはかる決議」が満場一致で可決されましたが、これまた今迄になかったことでございます。

しかし、式典や決議だけでは婦人の地位の向上は実現しません。そのための政府の行政、施策が必要であり、国会での立法が伴わなければなりません。政府が先般「婦人問題企画推進本部」を設置されたことはその第一歩として評価しますが、三木本部長をはじめ全部員が男子のみであり、その将来に希望が持てません。

もちろん婦人の地位の向上、男女平等は、私共婦人自身の問題であります。単に妻であり、母であるだけでなく、その前に一人の女性としての自覚を持ち、責任を果たすべきであります。

男子と平等の参政権が与えられて30周年、男女平等を規定した憲法が公布されて29周年になるのに、男女の平等には、程遠い日本の現実を遺憾に存じます。

男女平等の問題は今や、国際問題となりました。今日の式典を機会に、私共も政府と協力、その実現に一層の努力をすることを誓い、祝辞といたします。

昭和50年11月5日     参議院議員 市川房枝

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