清水さん「国鉄が分割民営化される直前の時点で、全汚物発生量の75%が衛生的に処理できるようになった」(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
列車にトイレが設置されているのは、いまやあたりまえ。しかし開通当時からトイレ設備があったわけではなく、試行錯誤の時代を経て、ようやくいまの形となっています。そのような列車トイレの歴史について調べ、筆を執るのは、NPO法人21世紀水倶楽部の顧問を務める清水洽さん。清水さんいわく「国鉄が分割民営化される直前の時点で、全汚物発生量の75%が衛生的に処理できるようになった」そうで――。

垂れ流し列車トイレの改善

1958(昭和33)年11月より東京〜大阪間を結ぶ特急電車こだまの運行が開始され、新幹線の建設計画が具体化されると、本格的に汚物処理装置を開発することが至上命令となりました。

1959(昭和34)年度で約150万円の予算で汚物を床下のタンクに貯留する「貯留式(タンク式)」と、とりあえずの応急処置として汚物に消毒液をかけた後に外部へ排出する「粉砕式(消毒式)」の試作が開始されました。

1960(昭和35)年に粉砕式トイレは完成し、こだま型特急(151系電車)とブルートレイン(20系寝台車)に取り付ける計画となりました。

しかし、汚物を消毒しても垂れ流しには変わりありません。私の学生時代1961〜67年(昭和36~42年)、私の隣の研究室では大阪府から流域下水道基本計画の策定を受託し、トイレからの汚物量や水洗時の水の量を測定する調査を実施していました。

当時、厚生省(今は環境省)でも水洗便所の設計基準を決めるため、トイレでの男女別の汚物量の調査を実施し、次の基準を算出しました。

大便が約200グラム/人/回、小便を約300cc/人/回 としたとき
洗浄水を加えた汚水量を2.3~3.4リットル/人/回 とする。

1961(昭和36)年7〜8月に新幹線車両のトイレを「タンク式」と決定。タンク容量を決めるため、容量560リットルの試作2号(試作1号は420リットル)のFRP(繊維強化プラスチック)*1タンクをサロ153、サハ153に設置して現場調査を実施しました。

汚物は車両基地のタンクに回収し、バキューム車で近くのし尿処理場に運んで処理するため、車両設備は簡易化されました。しかし、多客期に汚物があふれ出ることが起こり、新幹線の汚物タンクは1立方メートル以上が必要と決定されました。

*1 軽量だが強度の低いプラスチックにガラス繊維や炭素繊維などを補強材として埋め込んだ合成樹脂複合材料。車両では重量をできるだけ軽くするため強度があり、荷重の少ないFRPを採用している。