撮影:本社写真部
この世に元気に生まれてくることができず死産した赤ちゃんとそのお母さんのために、グリーフケアを続けている助産師がいる。水戸赤十字病院に勤める浅野智恵さんだ。手作りの産着やエンジェルメイクなどを通し、子どもを失った母親たちにそっと寄り添う。実は浅野さん自身も母親として、23年前に19週目で赤ちゃんを亡くしている。(構成=古川美穂 撮影=本社写真部)

助産師としての出発点

もともとは看護師になるつもりで専門学校に通っていました。でも病院での実習中に、その後の進路を変える出来事があったのです。

その日私は、陣痛室で痛がる妊婦さんを前にオロオロしていました。そこにひとりの助産師さんが入ってきたとたん、部屋の照明が一段階強くなったかと思えるほど明るい雰囲気が広がりました。東北出身のその助産師さんは、あたたかい東北の方言で「いてえよなー、うん、わがるよー。いてえよなー。ごめんなー、痛みは取ってあげられないんだけど、もうちょっとだからなー」と、妊婦さんの手をさすりながら励ましました。

すると朝からずっと苦しみ続けていた妊婦さんが、すっと眠ってしまったんです。その後、お産は順調に進み、元気な赤ちゃんが生まれました。その時の驚きと感動が忘れられなくて、看護学校を卒業して総合病院に1年勤めたあと、助産師学校に通いなおしました。そして、その助産師さんと同じ病院で働くことになったのです。

しかし、助産師が少なかったので、職場は非常に忙しく、私は自分が妊娠しても無理をして働き続けました。それが原因かどうかはわかりませんが、結果として2人目にあたる子どもを19週目で死産してしまいました。男の子でした。

私には今、24歳と20歳の息子と、13歳の娘がいます。亡くなった子は、息子2人の間に生まれるはずでした。身内の死は以前にも経験がありましたが、我が子を失うつらさは、想像を超えていました。生まれてきて当たり前だと思っていたのに、いるはずの息子がいない。とても現実を受け止めることはできません。それまでは自殺する方の気持ちが理解できなかったけれど、子どもを亡くして初めて、この世には死にたいほどのつらさがあるとわかりました。