撮影:本社写真部
戦後最年少の22歳で真打ちとなった、落語家の柳家花緑さん。言葉を自在に操る巧みな芸でお客さんを笑わせる姿の裏には、「学習障害」と闘う日々がありました。〈障害〉と診断されてよかったと語る、そのわけは──(構成=篠藤ゆり 撮影=本社写真部)

サイン会で脂汗をかきながら書いた文字

僕には識字障害(ディスレクシア)という学習障害(LD)があります。学習障害とは、基本的に知的発達に遅れはないけれど、聞く、話す、読む、書く、計算する、推論する能力などのうち、特定のものがうまくできない障害。僕の場合は、「文字」の認識にかかわることが苦手です。そしてどうやら、ADHD(注意欠如・多動性障害)の特性もあるようです。

では、識字障害とはどういうものなのか。これを説明するのは、すごく難しいんです。たとえば「婦人公論」と紙に書いてあったとします。僕の場合、「婦人」という字を見て、それを脳が認識して言葉として理解するのに3秒くらいかかったりする。疲れていたり、ストレスがかかった状態だと、さらに文字の認識が難しくなります。

書くことも同じで、よく知っている言葉であっても、脳が疲労してくると書けなくなる。……と、抽象的に説明してもわかりにくいので、具体的な例をひとつ。

ある時、独演会で古典落語の「芝浜」をご披露しました。独演会の後は、自分の著書のサイン会。並んでくださった方には、あらかじめお名前を紙に書いておいていただき、僕はそれを見ながら書いて、自分のサインをします。

するとあるお客様から、今日の記念に「芝浜」と書いてほしい、とお願いされました。ところが独演会で疲れていた僕は、芝浜という文字がどうしても書けない。ついさっきまでやっていた演目ですし、「芝浜」という題名は、何千回、いやいやもっと見てきたはず。それなのに書けないんです。

脂汗をかきながら、なんとか書いたのが「浜」の字。なぜか浜が、先に出てきてしまった。そしてその後どういうわけか、「松」と書いてしまったんですね……。浜から連想した文字が、松だったんでしょう。しかもご丁寧に、ひらがなで「やりました」と付け加えて。つまり「浜松やりました」。お客様もびっくりしたでしょうね。(笑)

幸いその本の冒頭で、僕は自分に識字障害があることを告白しています。きっとその方は帰って本をお読みになり、あぁ、こういうことなのかと腑に落ちたと思います。