家庭用ビデオデッキの登場
家にビデオデッキが来たときのことは記憶している。説明書を読み、録画の操作方法を覚え、テレビ放映された『ドラえもんのび太の恐竜』を録画した。そして、後日、家に友だちを呼んでそれを見た。
1981年当時のビデオデッキの普及率は10パーセント程度。
「うちにビデオがあるんだけど、見に来ない?」と友だちを誘うのは、スネ夫がいかにもやりそうなやり口である。
当時、ビデオを買ってきた父親が熱心に録画していたのは『NHK特集シルクロード―絲綢之路―』だった。NHKの大型ドキュメンタリーシリーズで1980年4月から放送が始まったもの。
喜多郎のテーマ音楽だけよく覚えている。他には西部劇が好きでテレビで放映される西部劇と第二次大戦をモチーフにした戦争映画をよく録画していた。
我が家の家電製品は、パナソニック、ナショナル製、つまり松下電器で統一されていた。当時は家電は量販店で買うより街の電器屋で買うのが当たり前の時代。街の電器屋にはメーカーごとの系列があった。
家電メーカーは、商品のCMだけでなく、週末に系列店に足を運んでもらうための、フェアのCMも数多く流していた。日立は「日立のお店をのぞいてみませんか」、東芝は「あなたの街の東芝のお店」、ナショナルは「特選品フェア」。
80年代前半は、まだビデオテープが高価だったゆえに気軽には番組録画はできなかった。
『アニメージュ』1981年7月号の広告を見てみると、VHSビデオテープ120分用4800円、90分用4300円、60分用3500円、30分用2800円とある(永田大輔「ビデオをめぐるメディア経験の多層性――「コレクション」とオタクのカテゴリー運用をめぐって」、『ソシオロゴス』2018年)。
音楽用テープと比べれば10倍以上。気になる番組を一応録っておこうという気分ではなく、一生ものの番組だけ録画可能、そのくらいの気合いが必要だった。