自分の人生を生きるため、“主婦業” を前向きに卒業していく女性に対し、定年を前にした夫たちは立ちすくんでしまうケースが少なくない。人生の節目で、夫婦の明暗が分かれてしまうのはなぜなのか──(取材・文=奥田祥子)

2人で温泉巡りでも……と思っていたのは夫だけ

リタイアして初めて、家庭に自分の居場所がないことに気づくという男性は多い。私は新聞記者時代から20年にわたり、「夫婦関係」について、さまざまな人に継続的にインタビューを行ってきた。佐藤良一さん(62歳・仮名=以下同)もその一人だ。誠実な人柄で、真面目に仕事に取り組んできたことは疑いようがない。だが一方で、夫、父親としてはどうだったのだろうか。

「長い間、家族のことを思って懸命に働き続けてきたんです。定年後はかみさんとゆっくり温泉巡りでも、と思って、継続雇用も希望しなかったんですが、まさかこんなことになるとは……」

2018年初春、兵庫県内の高級住宅地にある自宅近くのカフェで、佐藤さんは時にを紅潮させ、また時に唇を小刻みに震わせながら、思いの丈をぶつけた。

佐藤さんと知り合ったのは1999年。大手メーカーで課長職に就いていた彼に、成果主義人事制度の根幹をなす人事考課の考課者としての悩みを聞いたのが始まりだった。

「賃金に影響する評価を相対的に5段階に振り分けねばならず、低い評価の者のことを考えるとつらい。彼らにも家族はいるわけで……。でもそれは自分も同じ。妻子のためにもこの仕事は避けて通れないんです」

考課制度の矛盾を批判しながら、自他問わず、家族を思いやる気持ちが伝わってきたのが印象的だった。

不況時にはリストラ対象者を選ぶ役目を命じられ、うつ状態が続いたこともあった。苦境を乗り越えられた要因を尋ねると、彼の口から出た言葉はまたしても「家族」だった。

しかし、当時すでに妻と長男、長女の子ども2人との心の隔たりは着々と進行していたのだ。

52歳の時に部長に昇進するまでの間、2回転勤を経験したが、いずれも子どもたちの中学、高校受験を理由に妻子は赴任地に同行しなかった。仕事に力を注ぐあまり、いつしか自宅への帰省回数も減っていく。

大阪本社に戻った時には、高校生の子どもたちは父親の話しかけにもろくに応じない状態になってしまっていた。「大事な時にそばにいてくれなかったくせに、偉そうなこと言わないで」と長女が放った言葉が、胸の奥深くに突き刺さったという。

そうして2017年、自身の定年退職の日、妻から「これからは自分のために生きてみたい。あなたのお世話をする余裕はもうありませんから」と告げられた。理由を尋ねると、「これまで自分を犠牲にしてきた。それはあなたが家庭に気を配ろうとしなかったから」と淡々と答えたという。

専業主婦だった同い年の妻は、長男が大学を卒業すると中堅商社で派遣スタッフとして、結婚前に職務経験のあった貿易事務の仕事に就いていた。実績が認められて転勤のない「限定正社員」に登用されたのだという。

「かみさんが長年不満を募らせていたことを定年の日、初めて知ったんです。彼女は直接、私に怒りをぶつけることはありませんが、あの日を境に夜遅く帰宅したり、週末に出かけたりすることが増えました」